戦時中、神社の敷地に住民が造った防空壕の跡=伊万里市山代町立岩

地元にある防空壕跡を見学する山代西小6年生=7月、伊万里市山代町立岩

 終戦から75年となり、戦争を自らの体験として語ることができる人が限られる中、戦時下の状況をとどめる防空壕跡が佐賀県内に約90カ所残っている。「戦争遺跡」として保存する動きはなく、地域の住民からも存在が忘れられようとしており、専門家からは「後世のために記録だけでも残して」と求める声がある。

 「この防空壕は住民が岩盤をコツコツ削りながら造りました」「空襲のサイレンが鳴ると逃げ込むんです」。子どもたちは説明に耳を傾けながら、穴の奥の暗がりに目を凝らした。

 7月上旬、伊万里市の山代西小6年生は校区内にある防空壕跡を見学した。戦時中、軍需工場の川南(かわなみ)造船所があったため、山の斜面に横穴式の防空壕が多く造られたが、存在を知らない児童が多いことから総合学習に取り入れた。

 案内役を務めた区長の井手一雄さん(69)は「初めて依頼を受けた。準備に手間が掛かったけれど、地域の記憶を次の世代に引き継ぐ機会になってよかった」と受け止めていた。

 防空壕は太平洋戦争時に国内の至る所で造られた。銃後の生活や戦争の過酷さを推し量る手掛かりになるが、保存に向けた動きは見られない。

 国は旧軍部や軍需工場、住民組織などが造った防空壕を「特殊地下壕」と呼び、崩壊などの危険箇所を把握するための実態調査をしている。鹿児島県で2005年、防空壕跡にいた中学生4人が一酸化炭素中毒で死亡する事故が発生してからは、埋め戻しや入り口をふさぐなどの対策を積極的に実施している。

 17年度の調査では、県内に特殊地下壕は92カ所残っていた。市町別では唐津市40カ所、伊万里市28カ所、鹿島市12カ所、武雄市5カ所など。残っていない地域は庭先などに垂直に掘られたケースが多く、戦後間もなく埋められたという。

 「戦争遺跡保存全国ネットワーク」会員の神埼郡吉野ヶ里町の男性(63)は「安全に管理する難しさもあり、地元に残そうという意思がなければ、いずれ消失することになるだろう」と話す。その上で「後世のため、形があるうちに記録だけでも残しておく必要がある」と指摘する。

 福岡県教育委員会は今年、県全域の戦争遺跡を3年がかりで調査した報告書をまとめた。624カ所の所在地や現状、由来などを記録し、防空壕は約50カ所ある。担当した九州歴史資料館=小郡市=の小川泰樹さん(54)は「戦争遺跡の価値を考え、適切に保護していくための基礎資料になる」と説明する。

 佐賀県は「戦争遺跡の定義づけが難しい」などの理由で調査は実施していないが、文化財保護を担当する宮崎博司さん(54)は「防空壕も含めた戦争に関する遺跡について調査の必要性は感じている」と話す。(青木宏文)

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