苔野公民館の一角に大切に祭られている石碑(伝宗本盛墓)=吉野ヶ里町

 今回から4回にわたって戦国時代の東肥前(佐賀県東部)で活躍した武将・宗氏をご紹介したいと思います。

 さて、佐賀県東部で宗氏と聞くと、江戸時代の対馬藩主で現在の鳥栖市・基山町を領有した宗氏が知られていますが、今回ご紹介する宗氏は北部九州の名門だった少弐(しょうに)氏一門として活躍した一族です。子孫の方が系図や伝わった文書をまとめた『宗家系譜』等によると、盛晴の時代に宗氏へと名乗りを改め、筑後国山隈城(福岡県小郡市花立山)を拠点とし、後に肥前へと移り、千栗(ちりく)城(みやき町)を本拠地としました。

 この宗氏のうち、古文書などで活動がはっきりと分かるのが1500年代に活躍した宗本盛という武将です。本盛は竹崎山観世音寺(太良町)への使者を務めるなど少弐氏を支える重臣であったようで、天文12(1543)年に少弐冬尚が千栗八幡宮へ奉納した鐘には龍造寺氏や馬場氏、筑紫氏といった有力武将と共に名前を連ねています。

 このように活躍した本盛でしたが、天文16(1547)年7月に起こった合戦のさなか、苔野(吉野ヶ里町)にて討ち死にしました。主君・冬尚の悲しみは大きかったようで、本盛の子・新五郎に宛てた父の忠義を称える書状や幼い新五郎を支えるよう他の家臣へ命じた書状の写し等が残っています。

 現在、吉野ヶ里町の苔野公民館の一角に石塔が大切に祭られていますが、これが宗本盛のお墓とも伝えられています。(地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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