特攻で戦死した戦没者の遺書などの書き起こしを続ける西唐津中教諭の盛田美紀子さん=唐津市の同校

年を重ねて文字が薄れてきた手紙や遺書などを解読して書き起こし、データ化している

 戦争経験者が少なくなる中、戦没者の遺品は戦禍を伝える手がかりになる。西唐津中(唐津市)の社会科教諭・盛田美紀子さん(55)は、特攻で亡くなった地元出身者の日記、遺書などを書き起こし、平和学習で取り上げている。年を重ねて傷んでいく手紙や遺書と向き合い、「記録としてとどめたい。子どもたちにも伝わるように残していくと、戦争の記憶はつながっていく」と力を込める。

 平和学習に取り組む盛田さんは、地元出身の戦没者の生い立ちを調べるなど、生徒が身近に感じられる学びを意識する。書き起こしを始めたきっかけは、浜玉中(同市浜玉町)に赴任中に知った地元出身で特攻で戦死した吉森茂さん(享年20)。生家を訪ねると、写真や家族にあてた手紙、日記が大切に保管されていた。ただ約70年を経て文字は薄れ、当時の崩し字は読むのも難解だった。子どもにも読んでもらえるようにと、昨年末から日記を借りて書き起こしを始めた。

 当時の若者言葉「オダを上げる(冗談話をする)」など辞書に載っていない言葉もあった。陸軍飛行学校時代に親友だった熊本県の男性を訪ね、すべての内容が分かったという。

 1940(昭和15)年から書きつづられた日記の書き起こしは、A4サイズ20枚ほどになり、冊子にして教室の廊下にも置いた。盛田さんは「よっぽど興味のある子しか戦争にまつわる資料館には行かない。日記には、10代で少年だった吉森さんに恋人がいたこと、ぼた餅が好きだったことも書かれている。生徒が身近に感じてくれたら」と願う。

 浜玉中では、盛田さんが生家を訪ねたのをきっかけに、今でも6月6日の命日に生徒会が生家を訪ねる。今年も吉森さんのおいの妻・三枝子さんの話に耳を傾け、平和集会で発表した。

 盛田さんには、忘れられない生徒の言葉がある。15年前、特攻隊を取り上げた授業で女子生徒が「今あたしがこの世におるとは、その時に(祖父が)死なっさんやったけんよね」とつぶやいた。生徒の祖父は、特攻で沖縄に向かう時に敵艦と遭遇し攻撃を受けたが、九死に一生を得たという。

 「生徒の言葉で、すとんとふに落ちた。『戦争は良くないことよね』と言いながら、うわべだけの通り一遍だったと気づかされた」と盛田さん。「死と隣り合わせで生き抜いて、命がつながって今がある。簡単に命を断ちきることはいかんよねと思った」と、生徒に毎年この話を聞かせる。

 戦争世代がこの世を去っていく中、盛田さんは「私たちが伝える話は直接体験された方に比べるとインパクトはない。でも心から出てくる思いはきっと子どもにも伝わる」と平和への思いをつなぐ覚悟を新たにしている。(横田千晶)

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