川南造船所の跡地で「記憶を継承するには形あるものを残す必要がある」と語る金子義弘さん=伊万里市山代町

川南造船所の跡地で「記憶を継承するには形あるものを残す必要がある」と語る金子義弘さん=伊万里市山代町

 太平洋戦争中、伊万里市山代町の海岸沿いに、特攻に用いる潜水艇「海龍」を造った川南造船所があった。今は雑草が茂る更地となり、れんが造りの門柱と朽ちた小屋がぽつりと立つ。地元の金子義弘さん(83)は「早く小屋をつぶして資料館をつくってほしいが、全く動きがない」と力なく笑った。

 造船所は1943(昭和18)年に軍需工場となり、輸送艦などを製造した。海龍は戦争末期に造られ、終戦直後の記録によると、4隻が完成、12隻が建造中だった。

 建物は55年の閉鎖後も一部は撤去されず、半世紀にわたって放置された。2010年、市が地元の要望を受けて解体の方針を示すと、県内外から戦争遺構として保存すべきとの声が上がる。そこで市は地元代表と有識者による検討委員会を設け、保存か解体かを議論した。

 金子さんは郷土史家の立場で検討委に参加し、保存すべきと主張した。「原爆ドームを見て分かるように、現物は歴史の証人として最高の資料になる。形あるものを残したかった」

 しかし、市の結論は撤去だった。跡地は「平和公園」として整備する構想だが、解体から8年たっても実現のめどは立っていない。

 公園計画が滞っている中、地元のまちづくり団体は、門柱の横に造船所に関する説明板を設置することにした。文案を金子さんが作成し、併せて冊子も作った。冊子は6月に完成したばかりで、山代コミュニティセンターで500円で販売している。

 金子さんは「次の世代が戦争を知る手掛かりとなるものを、一つでも多く残しておきたい」と話している。(青木宏文)

 

■海龍 旧海軍が太平洋戦争末期、本土決戦用の特攻兵器として開発した潜水艇。艇首に爆薬を充填(じゅうてん)して敵艦に体当たりすることを想定していたが、実戦投入はなかったとされる。全国で約220隻が建造されたという。

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