有田町大樽の陶山神社境内にある古賀峯一元帥の慰霊碑。顔写真は、古賀峯一元帥(諸隈家所蔵、有田町歴史民俗資料館提供)

井上萬二さん

 有田町の陶山神社の境内に、船の形をした石碑が建つ。同町出身で旧海軍連合艦隊司令長官の古賀峯一元帥(1885~1944年)。毎年5月、海自第22航空群(長崎県大村市)のラッパ隊や儀杖(ぎじょう)隊も参加し、慰霊祭が開かれている。

 「悲運の提督だった」。一昨年まで顕彰会会長を務めた人間国宝の陶芸家、井上萬二さん(91)は、在任1年ほどで殉職した最期に思いをはせる。町史や町歴史民俗資料館の「おんなの有田皿山さんぽ史」によると、戦死した山本五十六の後任として1943(昭和18)年4月、長官に。翌44年3月、パラオの司令部から飛行艇でフィリピン・ダバオに後退中、暴風雨に遭い行方不明となった。

 「海外勤務も経験し、情勢も読めたのだろう。山本らとともに、日独伊三国同盟と対米開戦には反対だった」(井上さん)という。町史によると、44年5月の東京での海軍葬に合わせ、地元の国民学校(現・有田小)校庭で遥拝ようはい式を開き、約7千人が参列したと記されている。古賀元帥の碑は1980年、旧海軍関係者や町の有志らが建立。予科練として鹿児島の特攻基地で終戦を迎えた井上さんもその一人だ。

 級友の江副孫右衛門(1885~1964年、有田町長、現TOTOの東洋陶器社長)から古賀元帥に宛てた手紙9通は、井上さんに託されている。有田に立ち寄り有田焼を買う予定や戦況をつづった軍事郵便には、故郷への思いが垣間見える。「今日の平和は元帥をはじめ多くの犠牲の上に成り立っている。それを今の人にも知ってほしい」と、慰霊祭を続ける意義を強調する。(古賀真理子) 

 

■古賀峯一 有田町泉山生まれ。1903(明治36)年に佐賀中学を卒業し、海軍兵学校に進んだ。フランス駐在大使館付き武官を務めたほか、ジュネーブ軍縮会議に参加するなど国際経験も積んだ。42年に海軍大将に昇進。44年3月に殉職し、元帥となった。泉山には生誕の地の碑がある。

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