目達原飛行場の正門跡。太平洋戦争末期は「振武隊」という特攻隊も編成された=吉野ヶ里町立野

 佐賀県吉野ヶ里町の陸上自衛隊目達原駐屯地の南西に、旧陸軍の目達原飛行場正門跡が残る。大刀洗陸軍飛行学校(福岡県)の分校として開設され、終戦まで約2年間使われた。

 建設地域は上中杖(吉野ヶ里町豆田)を中心に約200ヘクタール。「三田川町史」によると、当時、この地域は米や麦、養蚕業などで豊かな農業地帯だったが、住民は強制的に立ち退きを迫られたという。

 1941年に計画が発表され、造成中の43年10月には、大学生や高等専門学校生ら「見習士官」が練習機の訓練を始めた。相手艦に体当たりする「特別攻撃隊」が編成され、目達原の隊は「振武隊」と呼ばれた。

 萩原地区の明善寺近くには誘導路が設けられ、「機体を手で押して飛行場に運んでいた」と伝わる。明善寺や横田地区の西往寺などに特攻隊員が宿泊したほか、飛行場周辺には「三角兵舎」があったとされる。

 独自に目達原飛行場の調査に取り組む熊本県在住の福岡幸博さん(24)=吉野ヶ里町出身=は、「祖父などに話を聞きながら、あったとされる場所を調べたりもした」と話す。

 54年、飛行場跡に現在の駐屯地が開設。旧飛行場滑走路の一部は、ヘリポートとして使われている。

 福岡さんは「この地で育ったからこそ、未来へバトンをつなぐ義務がある」と調査にかける思いを語り、「戦争の事実や当時の人の生き方などを知って、人生の糧にしてほしい。機会があれば地元の子どもたちにも伝えていきたい」と話した。(西浦福紗)

 

■目達原飛行場 空軍の増強や乗組員の養成のため、1941(昭和16)年に大刀洗陸軍飛行学校の分校として計画が浮上し、約1年後に着工。1943年10月に完成した。特攻隊が駐屯するための飛行場としても使用された。1954年、跡地に現在の陸上自衛隊目達原駐屯地を開設した。

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