旧大鶴炭鉱で働き、引き取り手のなかった朝鮮人の名が刻まれた石碑について話す光明寺の川原浩心住職=唐津市肥前町の光明寺

 慰霊碑のそばには白く、かれんな韓国の国花ムクゲが咲く。唐津市肥前町の光明寺には、旧大鶴炭鉱で働いた朝鮮人たちの遺骨が眠る慰霊碑がある。光明寺の住職・川原浩心(こうしん)さん(56)は毎日、裏山の碑に手を合わせる。

 旧大鶴炭鉱は1936(昭和11)年に杵島炭鉱が買収し、採炭が始まった。39年に国民徴用令が施行され、労働力確保のため、朝鮮人や中国人を集めて炭鉱の作業員に割り当てた。『佐賀県石炭史』(井手以誠、1972年)によると、44年には県内の朝鮮人労働者は約6千人に上り、各炭鉱で労働者の3割を占めたという。「朝鮮人は殆ど危険な採炭に廻され」、さらに「奴隷的なひどい差別」もあったとの記述もある。

 大鶴炭鉱で働き、病気や事故で亡くなった人を葬った慰霊碑は58年に建立。無縁仏となった朝鮮人51人には、一人一人に戒名が付けられ、石碑に刻まれている。3年前までは韓国の学生との交流事業もあったが、資金繰りが難しくなり終了した。

 炭鉱に関するものも風化が進む。労働者が住んでいた長屋も約10年前に取り壊され、今は石炭を運び出していた坑口だけが草むらの中に残される。

 最近は慰霊碑を訪れる人はほとんどいない。だが、日韓関係が悪化する今、身近にある負の歴史に目を向けることに意味があると川原さんは考える。「一つの象徴として過去の事実を伝えていく。知って理解してもらうことが未来の交流の土台になる」と力を込める。(横田千晶)

大鶴炭鉱 杵島炭鉱が肥前町入野の香春鉱業と唐津炭鉱を傘下に収め、1936年に大鶴炭鉱として発足。57年に閉山した。「旧杵島炭鉱大鶴鉱業所第二坑口」は、2004年に国の文化財に登録された。在日韓国人の少女によるベストセラー日記「にあんちゃん」の舞台で、にあんちゃんの記念碑が坑口近くにある。

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