若鷲之碑を見つめながら当時を振り返る中島照雄さん=玄海町仮屋

 佐賀県玄海町仮屋地区にある「若鷲之碑」。終戦直前、特攻艇「震洋」の格納基地建設のために町を訪れた、福岡の小富士海軍航空隊の予科練習生200人の名前が刻まれている。町には彼らを含め、約650人の予科練生が訪れたとされる。

 隊は、入り組んだ湾や山に囲まれた地形などを評価し、外津浦や仮屋への格納基地設置を決めた。予科練生たちは複数の小学校を宿舎とし、連日作業に当たった。6年生以上の子どもたちは、授業よりも基地優先で作業を手伝わされたという。仮屋の中島照雄さん(91)も穴を掘り続けた。「はだしで作業し、手はマメだらけ。帰りはへとへとだった」と振り返る。

 町民との交流もあった。宿舎の食事は少なく簡素なものだった。練習生たちは夜、宿舎を抜け出して町民の家に上がり込み、食事をごちそうしてもらったという。中島さんは「町にいた予科練生の中には、特攻要員として鹿児島に赴き、そのまま帰ってこなかった人が何人もいた」と明かす。

 基地は完成したものの、出撃もなく終戦。船で町を後にする青年たちを、町民たちは陰ながら見送ったという。

 当時を知る町民や関係者はごくわずかとなった。資料も少なく、「若鷲之碑」と、かつて基地があった外津浦のそばに特攻艇の隊員たちの記念碑が残る程度だ。中島さんは「生き残ったものとして、次の世代に町に特攻艇の基地があったことなどを伝えないといけない」と語った。(中村健人)

■震洋

 木製のモーターボートに爆薬を積んだ特攻艇。玄海町の外津浦には第118震洋特別攻撃隊が置かれ、基地には25隻格納されていた。基地完成後、沖合に出て訓練を行っていたが、特攻の任務を遂行することなく、終戦を迎えた。

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