高麗谷窯跡で出土した磁器の破片。高台の底には、焼成に使われた材料が溶着した跡が残る(多久市郷土資料館蔵)

マツの木が内面に大きく描かれた絵唐津(大皿)の陶片(多久市郷土資料館蔵)

李参平が多久から有田に移ったことなどが記された多久家資料の一部(多久市郷土資料館蔵)

磁器の一部(左)が溶着した陶器の破片(多久市郷土資料館蔵)。陶器と磁器を同じ窯で焼いていたとみられる

 「有田焼の祖」と呼ばれる李参平が開いたとみられる高麗谷(こうらいだに)窯跡(多久市西多久町)の出土品を紹介する企画展が、同市多久町の市郷土資料館で開かれている。透明の釉薬(ゆうやく)が施された磁器や絵唐津の破片など約280点を展示。良質の原料を求めて有田に移り住むまでの一時期、李参平をはじめとする朝鮮陶工たちが築いた多久の焼き物の歴史をたどり、日本の磁器の源流に迫る。9月21日まで。入場無料。

 農地整備に伴い、2003年に窯跡で行われた発掘調査の出土品の一部を並べた。窯の姿は残っていないが、その後の試掘調査で焼成室とみられる遺構も見つかり、日本での磁器生産の草創期に当たる1590~1610年代に操業していたと推定されている。

 李参平は、戦国時代に朝鮮半島から連れてこられた陶工の一人。朝鮮出兵時に朝鮮半島に渡った初代多久領主の多久安順(やすとし)の元で十数年間、過ごした後、1616(元和2)年に有田に移ったとされる。県重要文化財の多久家資料に収められている「役所日記」には、多久領の女山(現在の西多久町)で焼き物を試作したとも記されている。

 展示された磁器のうち、白磁の器の破片にはもみ殻が付着し、草創期に特徴的な手法で焼かれていたことが分かる。マツなどの多彩な柄が繊細に描かれた絵唐津に加え、当時流行していた茶器や香炉、桃山時代の茶陶を代表する「志野」や、高麗茶わんの影響を受けた陶器の破片も並べる。

 藤井伸幸館長は「朝鮮から持ち込まれた焼き物作りの種が多久で芽を出し、有田で花を咲かせたとも言える。肥前磁器の歴史も物語る幅広い資料に触れてほしい」と話す。(谷口大輔)

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 開館時間は午前9時~午後4時。月曜休館(月曜が祝日の場合は翌日休み)。22日には多久市中央公民館で午後1時半から、元県立九州陶磁文化館長の大橋康二さんが「高麗谷窯跡の秘密を探る」と題して講演する(参加無料。事前予約制で先着100人)。申し込み、問い合わせは多久市郷土資料館、電話0952(75)3002。

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