佐賀藩出身で明治時代、現在の最高裁にあたる大審院の判事を務めた荒木博臣という人がいる。娘が文豪・森鷗外に嫁いだことで歴史に名をとどめる◆明治41(1908)年、鷗外の5歳になる長女茉莉が百日ぜきにかかった。当時この病気で亡くなる幼児は多く、鷗外自身、生後半年の次男を失ったばかりだった。容体は重い。あと1日もつかどうか。医者はこう持ち掛けた。「モルヒネを注射して楽に死なせては」◆「馬鹿」―このとき大声で叫んだのが、見舞いに訪れていた荒木だった。「何を言う。人間の寿命というものは分るものではない」。怒りに震えながら、「もう俺が知った以上はさせん」といさめた。一命を取りとめた茉莉はのちに作家になる◆愛するひとが死に直面し、苦しむ姿は見るに忍びない。軍医でもあった鷗外でさえ、「楽にしてやりたい」と思う人間の弱さが胸に兆した。安楽死を描いた「高瀬舟」はこの体験から生まれた◆筋肉が衰える難病ALSの患者から頼まれ、死亡させた疑いで医師2人が逮捕された。重い病気に苦しむ当事者が、自分の望む最期を迎えたいと願う心情は分からないでもない。ただそこに、残された生を充実させる手だては尽くされたのか。わずかな報酬で死を請け負う者はいても、「馬鹿」と叱ってくれる人のいない世の中がうすら寒い。(桑)

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