現在は国道3号・千歳橋で川を渡る

 鳥栖市水屋町の南を流れる現在の新宝満川は、昭和30年代までの地図には「筑後川(千歳川)」と表記されていました。地図を見ると大きく屈曲した流れであることが分かります。

 このため梅雨や台風など大雨の際には、すぐに洪水が起き、水屋町をはじめ周辺地区は洪水常襲地帯でした。地名も、洪水時に避難するために建てた避難家屋「水屋」からきています。

 古代に書かれた『肥前風土記』には、「川幅が広くて渡り難(がた)いので、生葉(いくは、浮羽)山から船材を、高羅(こうら、高良)山から梶(かじ)材を得て船を造って漕ぎ渡した」とあり、この地を「亘理郷(わたりごう)」とする地名伝説が残されています。

 現在の筑後川は1キロほど南を流れていますが、以前は「小森野放水路」と表記され、洪水の時などに流す水路でした。(参考『鳥栖市誌第3巻』)

(藤瀬禎博・鳥栖郷土研究会会長)

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