国内で初の新型コロナウイルス感染が確認された1月中旬から半年余り。ここまで未知の経験に振り回されながら進んできた。うまくいかなかったことも多い。迷走気味に映った政治はその一つ。特に、国と地方の「不協和音」が目立った。その理由は「地方分権」といいながら、地方の主体性や独自性を国がなかなか認めようとしないからといえる。逆に言えば、コロナをきっかけに、「地方分権改革」を一気に進められるかもしれない。予算と権限を国から地方にもっと移譲するため、地方からもっと声を上げていこう。

 一連の新型コロナ対策で地方が不満を見せ始めたのは、休業要請とその補償が最初だったと感じる。特別措置法で休業要請の権限は都道府県知事にあるのに、その補償がセットになっていなかったため、混乱が生じた。

 また、生活支援も「困窮家庭への30万円」から「一律10万円」へと方針がぶれた。地方の実情の違いをよく踏まえずに、中央集権的に決めてしまう政策決定過程に問題があったといえる。「アベノマスク」をはじめ、本当に「生きたお金の使い方」だったろうか。

 極端な方法かもしれないが、お金は国が準備して、地方が責任を持って使うというやり方が、今後は求められるのではないか。コロナ対策の補正予算で「地方創生臨時交付金」が配分されたが、その額は全体で2兆円だった。また、平常時なら、アイデアを基に配分してもよいが、スピードが求められる緊急時には、思い切ったやり方が必要だ。たとえば、各都道府県に1兆円ずつ無条件で配分し、都道府県が地域の実情に応じて支援先と金額を考える。あるいは全国1724の市区町村に1億円ずつ配分してもよい。知事や首長の判断力と実行力が求められ、議会のチェック機強化も必要だが、同じお金を使うにしても、自分たちのことをどう考えているのかが住民に分かり、政治への関心は高まるはずだ。

 地方自治法の施行から70年余り。国と地方の関係が「上下・主従」から「対等・協力」に変わった2000年の地方分権一括法の施行から20年。それでもまだ、地方自治体に対する国の関与は色濃く残る。そうした地方自治の在り方を見直そう。官僚が机上で練る政策と、住民の声を聞きながら政策を実行する地方公務員の間には温度差があり、これまでのような画一的政策では限界がある。山口祥義知事が再三、「地方に任せてくれ」と言っているが、賛成である。「ウィズコロナ」の時代に向かう今、地方がもっと力をつけなければならない。コロナ感染予防と経済活動の両立も首長同士でアイデアを出し合い、論議すれば、何かいい方法が見つかるはずだ。地方主体で進めた方が責任感を伴い、実効性も高まるだろう。

 東京一極集中を見直す必要もある。急増する東京のコロナ感染も、都心部の人口密度が高すぎることが要因の一つ。災害リスクを減らす意味でも、首都機能と首都圏の人口を地方に分散したい。

 国政は社会保障や防衛、外交など国の方向性、戦略策定に特化し、地方は住民生活に関わる分野に力を入れる。国と地方の役割分担を改めて明確にし、住民の声が届きやすい政治を実現したい。(中島義彦)

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