前谷薬局

 今回は歴史的建造物が数多く残る呼子へ。朝市通りから鯨組主中尾家屋敷を抜けてさらに奥に明治の建物・前谷薬局が建っています。

 呼子は加部島によって深い入り江が守られた天然の良港。古来、大陸渡航の船泊(どまり)として栄えていました。江戸時代は藩庁から代官クラスの侍が常駐し唐物改めを行なうほど。問屋が64軒もある商業港でした。そこで唐津藩は文久2(1862)年、呼子産物会所を設置。生薬屋(きぐすりや)前谷薬局はその翌年に創業しました。参勤交代の大名や朝鮮使節が立ち寄っていた港にできた呼子唯一の薬種問屋は重宝されたことでしょう。

 初代前谷七兵衛は問屋・萬屋(よろずや)前谷家から分家。浜崎で家伝薬を製造販売していた内山家から與平(よへい)を養子にとったことがきっかけで薬業を始めました。與平も平原の医師・井山家から安次郎を養子に迎えます。安次郎は馬渡島などからサフランの雌蕊(めしべ)を買い取り大阪の製薬会社に販売する仲卸で財を成しました。

 「サフランは店の吹き抜け2階天井から四畳半用の蚊帳に入れて吊(つ)るしていました」と孫の芳子さん(92)。父は戦時中に亡くなり、芳子さんは大阪の帝国女子薬学専門学校に入ることに。母は貸家を売って芳子さんの学業を支えたそうです。

 表通りの主屋は明治29(1896)年に建てましたが、5年後、火災に遭い再建。質の高い材を用いて作られた町家です。今も残る現役の摺すり上げ式大戸、百味箪笥(だんす)や薬研(やげん)にも父祖を大切に思う前谷家の人々の心が思われます。

文・菊池典子 絵・菊池郁夫(NPOからつヘリテージ機構)

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