高源院像

10代藩主直正が褒賞されたことを喜ぶ気持ちをつづった「盛姫書付」

10代藩主直正側近の古賀穀堂は「潜窩甲申文稿(せんかこうしんぶんこう)」で、直正の正室盛姫の生け花を絶賛した

 江戸時代の約270年にわたり、佐賀藩を治めた鍋島家の妻たちをテーマとした展覧会が県立佐賀城本丸歴史館で開かれている。大名家としての永続を可能にした婚姻に注目。現存する文書など18点を通し、正室や継室の政治的な側面、生活や人柄にスポットを当てる。

 初代藩主鍋島勝茂の継室菊姫(高源院)は徳川家康の養女。11人の子を授かり、男子は分家して一門を形成。女子は佐賀藩の有力家臣などに嫁ぎ、鍋島家の基盤を強固にした。

 県重要文化財の「高源院消息しょうそこ」は、高源院が孫の光茂の2代藩主就任に伴い「何事も光茂の考えをくんで、家老たちが話し合い、政治を執り行え」と勝茂の遺言を厳守するよう家老に念押しした文書。藩主亡き後も、発言権を持っていた高源院の影響力の大きさを知ることができる。

 7代藩主重茂の継室淑姫すえひめは、8代将軍徳川吉宗の孫。展示中の肖像画は、重茂死後に落髪し、円諦院えんていいんとなった姿だ。

 10代直正の正室盛姫は、11代将軍徳川家斉の娘。書画や雅楽、手芸をたしなんだ。直正側近の儒学者、古賀穀堂が盛姫の生け花の腕前を絶賛する文書を出展。また、掛け軸「盛姫書付」には、直正が長崎警備などの褒賞を将軍から授かったことに対して、盛姫が直正の賢明さをたたえ、喜ぶ気持ちをしたためている。

 盛姫没後、田安徳川家から迎え入れられた継室筆姫は江戸生まれ、江戸育ち。直正は、佐賀での暮らしに慣れない筆姫を案じ、柳川藩の立花家に嫁いだ姉の純姫と筑後川で船遊びができるよう取り計らった。

 当時は隣の藩への行き来も難しい時代。展示中の「鍋島夏雲日記」によると「大名の妻同士のことで問題ない」との判断から、佐賀に来た翌年の1864(元治元)年に実現した。その後、筆姫は神野茶屋や川上峡に出向くなど、佐賀での生活になじんでいった。

 藤井祐介学芸員は「出産時などに正室を亡くし、継室を迎え入れた藩主もいる。当時の様子や人となりを知ってほしい」と話す。

 ▼テーマ展「鍋島家の女性たち」は佐賀市城内のの佐賀城本丸歴史館で8月30日まで。観覧無料。会期中無休。8月22日午後1時半から藤井学芸員によるゼミナール「佐賀藩主の正室と奥向」(同館ホームページで事前予約必要)を行う。

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