熟年離婚というと、夫の定年を目前にして突然別れを突きつける妻の姿が目に浮かぶ。不倫などが原因になることもあるが、多くの場合、妻を突き動かすのは「このまま自分の人生を終わらせたくない」という衝動だ。自分のことを後回しにしながら家事、育児、介護を一手に引き受けてきたであろう世代の女性たちは、そろそろ「妻」でも「母」でも「娘」でもなく「自分」として認められる人生を送りたいと考えるのだろう。その後、義理の親、そして夫の介護が待っているとしたら、なおさらだ。
 しかし最近、男性側が熟年離婚したいと望むケースが増えつつあるという。ある知人から聞いたのは、単身赴任中に妻へ離婚を切り出した佐賀県出身の男性の話だ。
 現在57歳の男性は、20代の初めに社内結婚した。結婚を機に妻は会社を辞めて専業主婦になり、二人はすぐに3人の子宝に恵まれる。しかし、30代なかばで妻の実家近くに一軒家を購入した男性は、まもなく関西地方で単身赴任をすることになってしまった。それから10年以上、年末年始とお盆に帰省するほかは、一人転勤先で仕事に明け暮れる毎日だったそうだ。食事はほとんどコンビニか外食ですませ、単身赴任用マンションの小さな1DKに帰って寝るだけの生活。初めは頻繁だった妻との連絡も、子どもが大きくなり、妻がパートで職を得てからは、次第に途絶えるようになっていった。3人の子どもは成人し、県外で大学に通っている。
 ある年末、夫は突然、妻に離婚を切り出した。私がどれだけ我慢してきたかと憤慨する妻に、夫は「自分らしさを取り戻したい」と打ち明ける。
 「長いあいだ、僕は家族のためと思って、早朝から深夜まで身を粉にして働いてきた。でも時間が経つにつれ、家族とのつながりは薄くなってしまった。たまに佐賀に帰っても、君とも子どもとも会話が弾まないし、君たちの食の好みや趣味すらわからない」
 せっかく結婚したのに、夢に描いた家族団らんを味わうことはほとんどできなかった。男性は、知人にそうこぼしたそうだ。遠く離れた自宅で過ごす妻や子どもたちを「家族」と思い描くのは、難しくなっていた。その生活をリアルに描けない彼にとって、毎月口座から引き落とされていく「生活費」は、ただの数字だ。大黒柱なのだからと自身を奮い立たせた時期もあったが、次第に虚無感に勝てなくなってしまったという。
 「慰謝料も、毎月の補助も支払うつもりだよ。年金も分割になる。だけど、自分の退職金だけは家族に使われたくない。自分が勤務し続けて得たお金で、自分自身の人生を見つけたい」
 果たして、彼は身勝手な男だろうか。妻の言葉通り、家事、育児を一人で担う生活には苦労が絶えなかっただろう。いくら実家に頼れても、一人きりで子ども3人の生活を管理しながら、心身共にすり切れそうになった瞬間もあったはずだ。でも、思うのだ。だからといって夫が苦しい思いを吐露してはいけないのだろうか。男は、必ず一家の大黒柱として一生働き続けなければいけないのだろうか。心の置き場を家庭に持てない状況であっても、ただただお金を稼ぎ、家族に提供し続けなければならないのだろうか。それが男という働く性に生まれた宿命か。
 私は女だ。だから、女がどれだけ「らしさ」に苦しめられてきたか、多少はわかる。いくらがんばっても契約社員から正社員になれなかった母のこと。孫の私をも台所に立たせてくれなかった祖母のこと。しかし女と同様に男が「夫」「父」「息子」の役割を脱げないのだとしたら、男性にだって受難はあるのではないか。いったい個人の幸せとは? すべての人が性別を超えて自分らしさを獲得できる世の中になってほしいと、片手で夫、片手で我が娘の手を握りながら祈るのだ。

有馬ゆえ(ありま・ゆえ)
1978年、東京生まれ。フリーライター。既婚。趣味は男女アイドルウォッチ。
 

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