松原誠氏

現役時代の松原誠氏

 1976年の阪神戦は2日間で4打数連続本塁打を打った。「打撃の神様」川上さん(巨人)じゃないが、本当にこの時だけはボールが止まって見えた。ガーンと振ると本塁打。相手の監督が「誰か打たれねえのはいねえのか」と叫んでた。目力って重要でティー打撃で涙が出るほどボールをぎゅっと見る。縫い目まで。そのおかげかな。

 でも、僕は本塁打より打点重視。33歳の77年に34本塁打、110打点と一番打ったけど、打点王には届かなかった。これが一番残念。むしろ、僕の勲章は打率2割4分5厘だった71年だ。シーズン初めに左手首を骨折し激痛に1年間耐えた。プロ20年間、2本の柱でやってきた。後悔しない。同じ失敗はしない。71年は加えて絶対休まない。4番の大黒柱は休んじゃいけない。

 もちろんスランプはあった。でも面白いんですよ。真っ暗闇でどこが悪いのか全然分からない。4打数4三振なんてバットにかすりもしない。悩んでる顔から「考える人」とか「ロダン」と呼ばれたこともある。

 高校時代から体はでっかいが非力で鈍足。特技は肩が強いのと変化球が打てることだった。周囲からプロでは通用しないと言われ、大洋(現DeNA)に62年に入団して初安打を打った時はうれしくておふくろに手紙を書いた。6人きょうだいの末っ子。おふくろは死ぬまでその手紙を持っていた。

 本拠が狭い川崎球場から横浜スタジアムに移った78年は本塁打が少なくなると思って打率狙いに切り替えた。この年の打率3割2分9厘は自己最高。セ・リーグ記録のシーズン45二塁打も打った。アウトコースが得意で後ろの軸足のかかとを上げないのがコツ。かかとを上げると体が回り、へその前で打てなくなる。

 大洋で最後の80年は代打で四球を挟み7打数連続安打で8打席連続出塁を記録した。2ストライクになると若い頃はドキドキで心がマイナスになったが、経験を重ねるにつれて気にならなくなった。

 80年で引退の予定だったが、巨人に誘われた。藤田監督の殺し文句が「巨人の一塁手はこれまで2人で賄った。その後できるのは松原しかいない」。川上さんと王さんの後継者と口説かれれば、もう行くしかなかった。(元大洋内野手)

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