江川町のCalli

 今回は唐津の江川町一の豪商・藤生(ふじお)平兵衛ゆかりの建物。現在はカフェ&宿CALALI(カラリ)として活用されている旧街道に建つ町家です。

 江川町は寺沢堅高(かたたか)公が治めた正保年間に描かれた肥前国唐津城廻(まわり)絵図では、鉄砲町と書かれ、組屋敷が並んでいました。江戸時代中期には下級武士と旗指物(はたさしもの)や刀の鍔(つば)を作る町人が混在し、江戸後期に商人町になりました。町名の由来は江尻(えのしり)川の支流が流れているから。船の利便も良かったでしょう。

 藤生家の屋号は酒井屋。代々町年寄を務めた家で文政2(1819)年に造り酒屋を始める前は油で財を成したとか。唐津藩の主な輸出品の一つ・鯨油を大阪辺りに出していたのかもしれません。藤生平兵衛は幕末の長州征伐の際は80両の御用金を用立てました。御用商人の多くは多角経営をしており、万延2(1861)年には薬の取引をしていた記録があります。

 唐津くんちの14番曳山(やま)、七宝丸の造営に多額の寄進をして間もない明治11(1878)年ごろ。藤生平兵衛は江川町の高見と呼ばれた地に薬種問屋として新宅を建てます。ホルトスや光明散といった薬の引札(ひきふだ)には藤生平兵衛あるいは酒井屋平兵衛の名とともに大阪の取引先の名が書かれていました。

 建物は平入りの町家、奥には数寄屋(すきや)の風情があります。座敷には昔は長谷川雪塘(せっとう)の小襖(こぶすま)や書院があり、炉も切られ茶の湯も愉しめたとか。庭には渡り廊下が続き、月見部屋があるのも趣があります。

 カフェや宿にしたいと手を挙げたのが徳永明寛さん(36)。「子どもがお月さまが大好きで」というこの笑顔を建物が待っていた気がしました。(NPOからつヘリテージ機構 文・菊池典子 絵・菊池郁夫)

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