ドライドックの木組み護岸遺構(佐賀市提供)

 日本は、19世紀半ばから20世紀の初頭にかけ、製鉄・製鋼、造船、石炭産業といった重工業分野を基盤とし、極めて短期間に急速な産業化を成し遂げました。イギリスに端を発する産業革命が西洋以外の国へ伝播(でんぱ)し成功したという世界史的にも稀有(けう)な出来事を、三重津海軍所跡を含む23資産で証明した「明治日本の産業革命遺産」は、2015年7月8日、世界文化遺産に登録されました。

 幕末における産業化への挑戦は、西洋からのわずかな情報を基に、日本の伝統技術を組み合わせた自力による試行錯誤の取り組みでした。

 佐賀藩でも、第10代藩主鍋島直正公の主導により、築地反射炉や多布施反射炉での鉄製大砲の鋳造、精煉方(せいれんかた)での西洋技術の実用的な研究が行われました。

 また、洋式海軍の創設のため、長崎海軍伝習所で習得した知識や技術を基に、佐賀藩海軍の拠点として三重津海軍所が設立され、海軍教育や訓練とともに洋式船の修理や建造を行いました。特に、洋式船の修理施設である「ドライドック」を木と土で築き、船の出し入れに有明海の干満差を利用し、船の部品造りに日本古来の鋳物や鍛冶の技術を使うなど、西洋技術の再現に日本の伝統技術を巧みに活かしたのです。

 このことを示す三重津海軍所跡の遺構や遺物が、幕末における日本の近代化に向けた「試行錯誤の挑戦」の様子を具体的に示しているとして高く評価され、世界遺産の構成資産となりました。(佐賀市歴史・世界遺産課・野田宣心)

このエントリーをはてなブックマークに追加