父の法事で、ふいに姉が言った。「私の名前、節子にしたかったらしいよ、お父さん」。え、なんで。「原節子よ。ファンやったって」。供養ごとは、故人の秘めた過去を蒸し返して遠慮がない。42歳で銀幕から消えたあこがれの人を、そのころ生まれた娘に重ねようとした男ごころ…。「柄にもない」と笑い合って、しんみりする◆それほどに人気を集めた女優の、きのうは生誕100年。15歳でデビューし、ほどなく日独合作映画のヒロインに抜てきされたが、演技は酷評された。踊り子を演じれば、ダンス場面は全部カット。「私くらい、大根、大根っていわれた女優は映画史上にない」と語っている◆いくらけなされても「誰だって出来る下手糞(くそ)な演技の真似事をしなかったところに原節子の偉さがある」と小津安二郎監督は評した。「あの人は喜怒哀楽の表情以外のものを持っている」と。「晩春」「麦秋」「東京物語」などの名作は彼女のそんな気品をたたえている◆恋愛は描かず結婚と家庭を語った小津映画で、彼女は手みやげのケーキの包装ひもさえ粗末にせず、客人のために酒やしょうゆを隣から借りる。見返すたびにその魅力は、「失ってしまったもの」の中にあるのだと気づく◆そんなことを一度、親父と語りあえばよかったな。女優のおかけでまた、なくしたものを思い出す。(桑)

下記のボタンを押すと、AIが読み上げる有明抄を聞くことができます。

このエントリーをはてなブックマークに追加