地元嬉野から世界に進出できるブランド力を養いたいと話す一ノ瀬畜産の一ノ瀬定信社長=嬉野市塩田町

一ノ瀬畜産

一ノ瀬畜産=嬉野市塩田町

製造部 渡辺譲司さん(26)

ー牛肉卸の業界に携わる中で印象的だったことは。

 まだ修業中だったが、2001年9月のBSE(牛海綿状脳症)の広がりは衝撃だった。テレビの映像などが消費者の頭に残っていて、少し食が離れた部分はあったと思う。廃業する肥育農家も多かった。先代や先々代が誠意を持ってお客さまに接していたことで、うちの今があると思っている。

ー新型コロナウイルスの影響で飲食店が休業を余儀なくされ、高級牛の行き場がないと聞く。

 苦労されている取引先もある。肥育した牛を食肉として処理するスケジュールはある程度決まっている。農家さんと話して処理する時期をずらすことができればいいが、「どうしてもこの月にやらなければならない」ということもある。全量をうちで受けて、ネット販売や宅配業務で対応している。

ー業務への影響は。

 いろんな所に移動できないのがつらい。福岡県にはトラックに乗って営業に行ったりしていたが、特定警戒都道府県に指定されて難しかった。本社の小売りブースに飛沫(ひまつ)を防ぐ板を設置し、社員にはアルコール消毒液を配って「とにかく消毒に気をつけて」と呼び掛けた。

 東京オリンピックが先延ばしになった影響も大きかった。例年なら6月は牛肉の相場が落ち着く時期だが、オリンピック需要で相場が上がると皆が見込んでいたはず。それがなくなって、誰も流れが読めなくなっている。

ー仕事の中には、目利きなど職人的な部分もある。

 枝肉を見ても、最初は「ちょっとサシが多いな」といったことぐらいしか分からない。お客さまを知っていく中で、「この枝肉はあのお店向けだな」「このパーツはあのお客さんに通るな」と一目見ただけで判断できるようになる。そうなれば仕入れもしやすい。

ー経営者として常に気に掛けていることは。

 一ノ瀬 普段から出張などで会社を空けている時間が長いが、会社にいるときは若手や新入社員に意識して声を掛けるようにしている。仕事の相談から休日の過ごし方まで、さまざまなことを話す。その中で会社としての和が生まれるし、社員がどれだけ成長しているかも分かる。

 力がある人が腕力を必要とする仕事をやれるかというと、必ずしもそうではない。細かい作業を任せたら、とても出来上がりがきれいだったということもある。良い部分に気付き、伸ばす方がいいと考えている。

 

 一ノ瀬畜産  昭和初期に家畜商として事業をスタートし、1955年に鹿島市で食肉小売店として創業。1979年に株式会社「一ノ瀬畜産」を設立した。81年11月、現所在地に本社と配送センターを移転。82年には食肉格付け認定工場になった。ブランド牛「佐賀牛」を主に扱い、九州一円から関西、関東までを販売エリアとしている。資本金3000万円。従業員35人。年商約60億円。

 

【VOICE・若手社員から】 渡辺譲司さん(26)製造部

 入社7年目。真空パックでの包装や計量を経て、いまは枝肉から骨を抜く作業などを担当している。力仕事で、1日15頭程度を処理するが、お盆やゴールデンウイーク、正月前の繁忙期には30頭程度に増える。
 少しでもロスを減らすことが必要で、骨に赤身が残らないのがベスト。初めは力いっぱいだったのが、包丁の研ぎ方が良くなったことで、最近はスムーズに刃が通るようになってきた。
 まずは任された仕事をきちんと全て覚えていきたい。将来的にはグローバルな会社になり、世界中に私が手掛けた牛肉が届けばいいなと思う。

 

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