今も残る水屋。下の石積み部分が盛り土、人がいるのが1階の入り口、窓があるのが2階部分

 筑後川は昔、「一夜川」とも呼ばれ、有明海の満潮と上流の大雨が重なると一晩にして暴れ川となり、川沿いは洪水常襲地帯でした。

 筑後川(現宝満川)に面する鳥栖市の南部地区(水屋、高田、安楽寺など)の住家は、洪水に備えて微高地を選び、さらにその上に盛り土(屋地盛)をし、母屋を建てて生活していました。

 そして、その母屋の面よりさらに2メートルほど高く盛り土をして、2階建ての避難家屋としての「水屋」が建てられていました。1階は米倉や道具置き場で、2階は洪水の際の避難部屋となるよう、場合によっては畳まで用意されていました。

 さらに、いざという時の移動手段としてや、家畜の避難場所(舟に家畜を乗せ綱で木につないでおく)として、舟も用意してありました。蔵の軒先につり揚げておくので「揚げ舟」と呼ばれていました。

 大洪水が起きなくなった現在でも、「水屋」「揚げ舟」が備えてある住家がまだあります。(参考『鳥栖市誌第3巻』)

 (藤瀬禎博・鳥栖郷土研究会会長)

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