新型コロナウイルス感染拡大の緊急事態宣言が全面解除され、社会は不安を抱えながら、「日常」を取り戻す第一歩を踏み出した。新規感染者が減少したいま、政府や自治体、そして私たちもこの3カ月余りを、真摯(しんし)に厳しく検証・総括しておかなければならない。その作業が第2波への備え、コロナに負けない社会の構築につながる。

 しかし、安倍晋三首相は記者会見で、人口当たりの感染者、死亡者数が先進国で圧倒的に少ないことを挙げ「1カ月半で流行をほぼ収束させることができた」と胸を張ったが、現時点の検証に消極的な姿勢を示した。この間、自治体に後れを取る場面も目立ち、政府対応が混乱したのは明らか。専門家会議が中間的な検証の必要性を表明したように、救える命もあったのではないか、という視点で評価すべきだ。

 感染の有無を調べるPCR検査の目安、号令をかけても検査が増えなかった要因、保健所の過重な業務、マスクや防護服などの決定的な供給不足、症状別に受け入れ先を振り分ける判断の遅れ…。医療体制の再構築へ教訓としなければならない課題は山積している。

 コロナ対応に限れば、病院のパンクは何とか回避した。ただ、コロナ以外の多数の患者の治療や手術が後回しになったとすれば、それは医療の崩壊である。感染者の収容で経営が苦しくなった医療機関への一層の財政支援も不可欠だ。また、2月以降、経済対策が小出しになり、迷走したのは、当初の危機意識の欠如と、野党などの提案に耳を傾けない長期政権のおごりでもあった。

 一方、罰則のない外出自粛や休業要請に、市民が協力したのは、強い感染力や一気に重症化する恐れなど、このウイルスの怖さを感じたからだ。経済活動の停滞で収入が途絶え、生活困窮の懸念も広がった。緊急事態の解除により、これらが払拭ふっしょくされたわけではない。政府は「命」と「暮らし」という国民の二つの不安を和らげてほしい。

 前者の安心は、明解な医学的データを提示することだろう。PCRや抗原検査の拡大、大規模イベントなどを再開する上で、抗体検査も必要で、人的な体制の整備が急務だ。後者については、切れ目のない支援策を打ち、手続きをできるだけ簡素化、迅速に支給することに尽きる。厳しい財政事情を考えれば、予算化されていても先送り可能な施策は持ち越し、財源捻出の努力をすべきだ。

 私たちの身の回りでは、ウイルスへの恐怖や自粛のストレスが、差別や分断を生んだ。感染者の個人情報がツイッターに飛び交い、他県ナンバーの車を傷つける。医療従事者の子どもが遠ざけられ、営業を続けた店舗を張り紙で責め立てる。「自粛警察」の言葉に象徴されるように、寛容さが失われれば、社会に修復しがたい傷痕を残すことを心に留めておきたい。

 自粛要請への市民の協力は、私権をこれ以上制限されたくない、自由や民主主義を守っていくという「公共」の心の発露とも言える。見えない敵への対処は、こうした協調の精神が大切であることも教えてくれた。

 第一の危機を乗り越えても、特効薬やワクチンがない以上、かつての日常に回帰するのは難しいかもしれない。つらい経験を踏まえ、新たな社会や経済のモデルを見いだす構想力が試されている。(共同通信 橋詰邦弘)

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