基山町文化財調査報告書第3集『千塔山遺跡』

 「駅前台地を開発して中心商店街をつくる」という駅前台地(千塔山=せんどやま)の開発計画が1975年3月、『第1次基山町総合計画』で公表された。

 これより前、県教育委員会文化課と基山町教育委員会が、74年夏に行った駅前台地の埋蔵文化財の予備調査で、千塔山は弥生時代の集落跡であることが判明した。このため、一部住民は「招魂場(=千塔山)を守る会」(堀田一治会長=当時)を結成し、「千塔山の埋蔵文化財、招魂場を残そう」と反対運動を展開。基山町教育委員会(中村喜一教育長=当時)は予備調査の結果を踏まえ、基山町遺跡発掘調査団を編成し、緊急調査を実施した。

 調査は75年12月から2年4カ月かけて行われた。その結果、弥生時代中期・後期の環濠(かんごう)集落住居址56を検出したほか、一帯から土器、陶器、石器など多数と青銅製鋤(すき)先7点が出土した。

 他方、駅前台地開発の工事を請け負った三井鉱山による起工式が75年8月23日、片山の現場で行われたものの、造成工事は基山町遺跡発掘調査団による調査と並行する形で進められたため、工期は3年近く延びることとなる。

 千塔山遺跡の調査結果は78年2月、基山町文化財調査報告書第3集『千塔山遺跡』として刊行された。(地域リポーター・久保山正和=基山町小倉)

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