第1回の記事に掲載した、有田の朝鮮風白磁(右)と中国風染付磁器

 この「有田陶片物語」の連載も、今月でちょうど10周年を迎えた。4週に一度。月1回程度とはいえ、単純計算で10年では120回超。もともと十分な元ネタすらなく、これほど長く続くともつゆ知らず。今にして思えば無謀そのものである。おかげで、毎回薄氷を踏む思いで、火事場の馬鹿力よろしく、ネタをひねり出している次第である。

 この連載で思い知らされたのが、短文の難しさ。職業柄、長文の執筆には比較的慣れているはずだが、逆に、少ない文字数にはいまだに手を焼くこともしばしば。つい欲が出て、中身をてんこ盛りしたくなるところを、グッとこらえて絞りに絞る難しさは、毎回苦闘の連続である。

 あらためて振り返ると、連載第1回目のイントロは、時節柄、107回目の有田陶器市。「店先を華々しく飾る多種多様な磁器の数々は、日本の陶磁文化の多彩さを物語っている」とし、「それは400年前の一つの決断がもたらしたもの」と締めくくっている。

 400年前の決断とは、李朝陶工の手により誕生した有田磁器だが、無文の白磁が基本の李朝磁器ではなく、当初から多彩な染付文様の中国磁器を手本としたことにある。日本の磁器は、唯一有田で形成された一つの技術が、直接的、間接的に全国へと伝わったものである。よって、もし有田で最初に陶工由来の李朝風が選択されていたなら、現代の日本磁器もまるで異質なものとなっていたに違いない。(有田町教育委員会学芸員・村上伸之)

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