青唐津筒盃(口径6センチ 高さ5センチ 高台径3.5センチ・江戸初期 )、碗なり盃(口径6.2~7.2センチ 高さ4.3センチ 高台径3センチ・江戸初期)

撮影・村多正俊

 唐津の釉薬は、斑まだらや黒など様々あるけれど、その中で一番地味と言えるのが青唐津と呼ばれる緑がかった灰釉だろう。もちろん唐津の性質上、派手さは求めていないにせよ、「これが、もう少し白っぽければ」と思う青唐津を今まで何点も見てきている。今回、紹介する盃さかずきも、その中で縁のあった2点である。

 1点は筒型で、もう1点は碗わんなり。どちらも色のトーンは暗めで、土味もこんがり焼けて茶褐色を呈している。また、高台の造りも共通していて、若干の片薄はあるけれど、ほぼ正円。唐津の高台は、大きな見どころとなっていて、真贋しんがんの決め手にもなるのだが、雅味こそないが民藝みんげいそのものの力強さを持っていて、安心そのものである。

若干の片薄はあるものの、ほぼ正円の高台。左が筒盃、右が碗なり盃

 筒型から説明を加えると、高台脇から胴にかけて、やや丸みを帯び、口辺はやんわりと開いている。この形姿は、手の中の収まり加減において、一つの理想である。傷気は多いが伝世なので大目に見よう。一方碗なりのほうは、掘りの手ゆえ、胴に「ひっつきがあり、そこに親指を載せると具合がいい。碗なりと言っても、通常の物より胴が一段と高くなっていて、轆ろく轤ろ目の凸凹と相まって、この盃を力強く見せている。なにやら織部の沓茶碗を連想する、と言えば大仰だろうか。

 さて、このような多少の見所があって、これらの青唐津を手に入れたのだが、手に入れた理由は、もうひとつあり、それは寸法の良さにあるのだ。得てして古い盃は小向からの転用と言われ、大ぶりの物も多い。無論それらは“ぐい吞み”として需要は多いが、独酌用となると、一合や一合半といった小振りの徳利とっくりには大きすぎる。その意味で、この2点は、手持ちの徳利と合わせやすい。また、旅先に連れて行く時にもちょうど良い。骨董こっとう好きの仲間との旅行は、皆、会食となると、それぞれ自慢の盃を持ち寄り酌み交わす。その時、これらのような青唐津を出しても、あまり目立たず所望もされず、料理の味を噛かみしめながら、場の雰囲気を楽しめるのである。また、人からも酒を勧められた時には、しっかりと受け止めるだけの力量があり、その時、これらの盃が、いつもより頼もしく見えてくるのである。

 次の旅行には、どちらの盃を連れて行こうか。(毎月第2火曜日掲載)


かつみ・みつお 1958年、東京・新橋で古美術商を営む家に生まれる。10代から西洋骨董に目覚め、大学卒業後、10年間、西洋骨董店で修業。その後、古美術「自在屋」4代目を継承。東京・渋谷区の自宅に店を構える。著書に『骨董自在ナリ』(筑摩書房)など多数。

 

解説

 勝見さんは常日頃「なにげなさが古唐津の魅力」と言われています。この二つの盃はまさにそれ、ではないでしょうか? 気安さと力強さを併せ持ち、かつ、押しつけがましくない…なかなかどうしてこういった佳品にはお目にかかれないものです。

 肥前各地で作られていた古唐津。その中でも最も多く用いられた釉薬が今回の二つの盃に用いられている、草木の灰を主体とした土灰釉(どばいゆう)です。今でも窯跡にいくとそこかしこにこの土灰釉を使用している陶片を見つけることができます。土灰釉は窯からでる薪の灰や、窯周辺の草木を燃やした灰を主に、そこに陶土を生成する際の、水簸した砂岩を加えて作られます。土灰釉も他の古唐津の釉薬(白濁釉=斑唐津 鉄釉=黒唐津、等)同様に焼成具合によって色が変わります。還元炎では濃い緑色(青唐津)に、酸化炎では暗い黄色(黄唐津)になります。

 さて今回の勝見さんの盃について見てみましょう。筒、碗いずれも土灰釉をかけ、焼成された青唐津です。筒は400年以上も昔から使われ続けた伝世品、碗はまだ発掘が許されていたおおらなか時代に窯跡の物原(ものはら=窯場の不良品捨て場)から掘り出されたもの。いずれも「なにげないもの」なんですが古唐津好きの琴線に触れる魅力が多々あります。

 筒は轆轤さばきがそっけなくも精緻であり、軽く削られた碁笥底高台も気持ちの良いあがり。加えて見込はしっかりと押さえこんであり、小振りのわりに酒器としての容量は呑兵衛さんの思いを満たすにじゅうぶんなものです。残念ながらぶち割れものですが、それを補ってあまりある魅力を備えています。

 
 

 碗のほうはといえば、釉調が美しい見込や、ほんの少しゆがんだ口辺の面白さと絶妙な位置にあるくっつきがこれまた呑兵衛さん仕様になっています。しっかりと削ってある小さな竹の節高台もかわいらしいものです。

 
 

 個人的に「青唐津」は日本酒映えが一番だな、と感じています。特に夏、キンキンに冷えた純米吟醸を青唐津の盃に注ぐと、見込みの表情が深淵の山から流れ出る清廉な川面を彷彿させ、なんとも好ましいのです。昼に「佐賀のお酒を青唐津で!」のような贅沢ができる時には私の心はシュッ、と肥前の地に飛んでいきます。

 さて、これらの盃がいずこで作られたか、ということについて書きたいと思います。筒盃はその形状や土味から有田町にあった小森谷(こもりだに)窯で作られたもののように思われます。この窯では数多の小盃が作られました。特に鉄釉を口辺にかけた、いわゆる皮鯨(かわくじら)盃が多くつくられ、骨董好きの間でその名が知られています。また碗なり盃はその鉄分の多い陶土や類型陶片などから推察するに武雄市北部の姥ケ原あたりではなかろうか、と思われます。このあたりはより深く考察したいところです。この、「どこの窯で作られたか」トークを古唐津好きの人々と集い、侃々諤々やるのは実に楽しいものです。

 前回の平盃の項にて記した通り、古唐津で最も生産されたのは雑器の小皿。そんな小皿でも最も多く用いられた釉薬はこの土灰釉でした。

青唐津小皿(武雄系永尾窯)見込み
青唐津小皿(武雄系永尾窯)高台

 小皿に次いで多かったのが同口径の、飯碗でした。同時代の朝鮮半島では生産されていなかった大きさと深さで、こういったところからも日本人マーケットに向けてモノが作られていたことがうかがえて興味深いものです。また他にも片口や当時の上級ラインであった茶道具の水指、茶入れ等にもこの釉薬は積極的に用いられていました。

青唐津片口(松浦系田代窯)

 古唐津の中で最も「なにげない」ものが青唐津であり、どうしてどうしてその魅力は古唐津好きの琴線を震わしてやまないもの、なのです。

(文・写真:村多正俊)

このエントリーをはてなブックマークに追加