戦後しばらくして、女優の森光子さんは関西で仕事を得た。ドラマに出ても、主演は東京から招いた女優で、自分はせいぜい4、5番手の役ばかり。〈あいつより うまいはずだが なぜ売れぬ〉と心境を楽屋川柳に詠んだ。舞台「放浪記」で初の主役をつかんだときは41歳だった◆主役になると、芝居をほめられるより客の入りが気になる。「どんなことでもしますから、観にいらしてください」という心境だった。森さんが晩年まで、でんぐり返しで劇場を沸かせたのも、その強い思いの表れであったろう◆新型コロナの影響で、演劇も音楽もステージの明かりは消えたまま。文化芸術に携わる人たちの収入が途絶えることより、歓楽街の営業再開が気がかりな世の中である。「文化は良い時代だけに与えられるぜいたく品ではない」。ドイツ文化相の言葉は胸に響く◆半世紀にわたり「放浪記」の主役を演じ続け、手にした国民栄誉賞の賞状には「夢と希望と潤いを与えた」とあった。「この『潤い』っていうのがうれしい」。森さんは相好を崩したという◆「夢と希望」は観客が胸の中で温めるもの。「潤い」は芸術が社会にもたらすもの、である。きょうは森さん生誕から100年。いまなら「潤い」を取り戻すため「どんなことでもします」と、苦労を重ねた女優魂を見せたことだろう。(桑)

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