時節柄だろうか、散歩の道すがら、神社やほこらの前で、手を合わせる人の姿をよく見かけるようになった◆明治の初めに来日した米国の動物学者E・S・モースは、東京・浅草寺で興味深い光景を見た。台座に置かれた木の仏像が、手足も顔立ちも判別できないくらい、つるつるになっている。お参りの人たちが自分の病気や痛みがあるところをなでるからである。モースは仏像のすり減り具合から、眼病や腸、関節リウマチなど、当時の庶民がどんな病気に苦しんでいたか推定している◆ご利益があるものに触れたがる日本人の信仰心を書きとめたモースだが、眼病で仏像の目を触ることだけは〈いくらでも感染が広がる〉と心配している。当時より格段に衛生概念が進んだ現代で、新型コロナが猛威をふるう今、祈りのかたちも変わっていくのかもしれない◆「触れる」ことが日常からどんどん消えていく。大型連休に故郷のぬくもりに触れることのかなわない人たちも多い。政府はビデオ通話を使った「オンライン帰省」を呼びかけている。ただ、高齢世帯など通信環境が整っていない家庭もある。ふれあうことの難しい社会で、いかにコミュニケーションを深めていけばいいだろう◆どうか心まで遠く離れてしまいませんように。何ごとか念じて手を合わせる人たちの、胸のうちを思う。(桑)

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