南から望む若山砦。左奥に本城である勝尾城が見える=鳥栖市

 鳥栖市の国史跡勝尾(かつのお)城筑紫氏(ちくしし)遺跡にある若山砦(わかやまとりで)は標高258メートルの尾根上に築かれた城跡で、曲輪(くるわ)や堀切、石積みなどの遺構が残っています。

 この若山砦を守ったのが金屋氏でした。金屋氏は筑前国太宰府を本拠地として中世の九州北部に勢力を誇った名門少弐(しょうに)氏の一門で、少弐教頼の三男資治が金屋姓を名乗ったのが始まりとされます。少弐氏が太宰府を追われ、肥前国で活動するようになると、少弐氏を支える一門として活動しており、金屋左近大夫・金屋千法師・金屋尚経といった名前が文書に残されています。その後、少弐氏が滅亡すると、基肄(きい)郡・養父(やぶ)郡を中心に勢力を誇った筑紫氏に仕えました。

 筑紫氏の治めた城を列挙した江戸時代の史料「城数之覚」には「谷山之城 金屋左衛門大夫」とあり、天正14(1586)年に行われた島津氏との合戦では敵の攻撃をよく防いだと伝えられています。

 その後、筑紫氏は上妻(こうづま)郡(現福岡県八女市一帯)へ転封し、関ヶ原の合戦後に改易されますが、肥後国の加藤清正に客将として迎えられます。清正に提出された名簿には「金屋清右衛門 少貮一門」とあり、金屋氏は少弐氏が滅亡した後も自分の出自に誇りを持って活動していたことがうかがえます。(地域レポーター・田中健一=鳥栖市儀徳町)

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