「おい、悪魔!」。毎朝、洗面所から叫び声が聞こえてくる。作家藤本義一さんが幼いころ、表具師の祖父はなんとも恐ろしい存在だった。起床して大きな音をたてながら顔を洗った後、鏡に映った自分に向かって大声で3回唱える。「オ・イ・ア・ク・マ」…◆のちに祖母の解説によると、オは「怒るな」、イは「いばるな」、アは「焦るな」、クは「腐るな」、マは「負けるな」の意味だったらしい。心に潜むやっかいな魔物を一喝して仕事場に向かっていたのだろう◆前玄海町長の岸本英雄さんの訃報に触れ、そんな挿話を思い出した。福島第1原発事故後、全国でいち早く玄海原発の再稼働を容認し、批判の声も上がっていた時期だった。過熱する報道に、よほど腹にすえかねたのか「普段、感情をコントロールしようと心がけているんですけどね」と漏らした一言を憶えている◆それまで当たり前だったことが当たり前でなくなる。そんな局面で重い決断を下すリーダーにとって、心を支える呪文があったとすれば、「日本の将来や地方を守るためにも原子力は必要」という信念だったのかもしれない◆業者からの金銭授受が明るみに出るなど、原発に注がれる国民のまなざしは依然厳しい。この国や地域の未来像をどう描いていくのかと、気持ちをこらえて語る故人を思い浮かべてみる。(桑)

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