新型コロナウイルスの対策の中、学校が始まった人も、まだの人もいつもとは違う心配や不安、がまんの中にあることと思います。
 ウイルスがすぐになくなるわけではないので、数カ月、半年、あるいはもっと長く今の状況(じょうきょう)が続くかもしれませんし、自分や身近な人が感染(かんせん)してしまうかもしれません。知らないうちに自分が誰かにうつしてしまうかもしれません。大人も子どもも初めて体験する状況の中、これ以上、ウイルスがひろまらないようにと、皆(みな)さんも手を洗(あら)ったりせきやくしゃみのエチケットを守ったりと協力していることと思います。

 

 今年は、今まで当たり前にしていたこと、学校行事、試合など楽しみにしていたこともあきらめなければならないケースが出てきています。あきらめるというと、つらく残念でイヤなこと。マイナスのイメージですが、元の意味はちょっと違います。漢字で書くと「諦(あきら)める」です。難しい字ですが、辞書も引いてみましょう。音読みではテイまたはタイ。仏教の「諦観(ていかん)」という言葉が元になっていて、ものごとの本当の意味をしっかり見きわめる。あきらかに見抜(みぬ)くという意味です。シブシブあきらめる私(わたし)たちですが、本当は、何が理由で、なぜできないのか、しないのか。どうにかできることなのか、どうにもならないのかということをしっかり考えて、納得(なっとく)して判断(はんだん)するというのが「あきらめる」の元の意味です。できないことはたくさんありますが、できることは何なのか、どうすればできるのか。あきらかに見ることにも挑戦(ちょうせん)してみましょう。(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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