みんなが愉快に飲み食いして騒いでいる声を聞きながら死にたい。哲学者で随筆家の串田孫一さんの祖父は、にぎやかなことが好きな人だった。臨終の枕元に友人を大勢招き、二晩か三晩どんちゃん騒ぎをしている間に息を引き取った。時々誰かが、もう亡くなったろうかと顔にかけた白い布をそっと持ち上げると、「まだまだ」と首を振ったという◆うらやましい人生の締めくくりだと、こんな時だから余計に思う。新型コロナの影響で、病院では感染防止のため入院患者に面会がかなわず、最期の別れも告げられないまま亡くなる気の毒なケースも出ている◆本紙「おくやみ」欄には心なしか家族葬が目につくようになった。会葬者が密集するのを避けるため、通夜や葬儀が始まる前に焼香を済ませてもらい、お引き取りを願う葬祭場もあると聞く。感染の終息が見通せない状況では、その後の供養ごとにも遠く離れた家族が集まるのは難しかろう◆ウイルスは人と人とを隔て、あらゆるところに壁を立てる。もういなくなってしまった人を思う心まで、いつの間にかぷつんと切られていることに気づく◆串田さんの祖父の墓には知らない人の骨つぼまで入っていた。「お前も来い来い」と呼び込んでいたらしい。人の最期は生き方を映しだす。それを感じることも大切な送り方なのだろうけど。(桑)

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