当時、炭坑としては珍しかった芳谷炭坑の浄水場跡=唐津市北波多(提供写真)

当時、炭坑としたは珍しかった浄水場の跡=唐津市北波多

岸岳ふれあい館に展示されている当時の芳谷炭坑の写真=唐津市北波多

調査の結果を報告する市原猛志さん=唐津市北波多の北波多公民館

 明治時代に県内で最大の採炭量を誇った唐津市北波多の芳谷(よしたに)炭坑跡を市や県の文化財にしようと、地元の有志たちが取り組んでいる。2月に専門家を交えた現地調査を実施。炭坑としては珍しい浄水場があったことなどから、専門家も「非常に価値が高い」と太鼓判を押す。

 芳谷炭坑は、1885(明治18)年に竹内綱(つな)と高取伊好(これよし)らが経営権を取得。1906(同39)年には約49万トンを採掘し、県内一の出炭量を誇った。

 炭坑をPRしようと活動する「北波多の自然と歴史を守る会」が、産業考古学会の理事も務める九州大大学文書館協力研究員博士の市原猛志さん(40)らに調査を依頼。2月8日から3日間かけて、複数の遺構の簡易実測をした。過去の記録や文献などと照らし合わせて、浄水場跡を再確認し、建材に県内生産のれんがが使用されていることも分かった。

 このれんが造りの浄水場跡は、貯水槽の遺構が縦26・5メートル、横12メートル。近くを流れる松浦川から水を引いていたとされる。1911(明治44)年にはほぼ完成したとみられ、同時期に完成した上水道設備は国内に10カ所程度と少なく、どれも都市に整備されているものだという。

 市原さんは「浄水場を一つの炭坑が持つとは思えない」と驚く。きれいな水を供給することでコレラなどの感染症が予防でき、「当時の従業員たちはより安全な職場を求めていた。福利厚生の充実のためでは」と設置理由を分析する。

 世界遺産に登録されている長崎県の端島炭坑(軍艦島)や福岡県の三池炭坑に比べ、遺構の数は少ないが、戦前に閉山した芳谷炭坑は明治や大正の歴史が残るという点では劣らないという。一方、文化財の登録に向けては、跡地が山中にあり、遺構が点在、土地所有者の数が多く、全体調査がしにくい状況にある。市原さんは「今後、重機を伴った本格的な掘削調査が必要」と話す。

 守る会のメンバーで、芳谷炭坑に詳しい楢﨑幸晴さん(78)は「価値があるものということが改めて分かった。結果をベースに活動を前に進めたい」としている。

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