古来、時間を知ることはとても大事だった。農耕の段取りや、うつろう季節の準備など、暮らしに密接に関わったからである。人びとの尊敬を集める聖人の「聖(ひじり)」は、今日がどんな日なのか、時をよく知る「日知り」に由来する、と万葉学者の中西進さんは書いている◆お寺が鐘をついて時を知らせたのも、当時は民衆に知を与え、教育する役割をお寺が担っていたからという。そんな歴史にふれると、学校の校舎に大きな時計が掲げてある理由も何だか胸に落ちる◆けさは久しぶりに、校舎の時計を見上げながら校門をくぐる子どもたちの姿が戻ってくる。新型コロナの感染者は日に日に増え、なお休校の続く市町はあるものの、ひと月以上も時が止まっていた学校が再び動きだす◆一斉休校で世の中は困った困ったの大合唱になった。子どもたちは学校以外に居場所はないのかと寂しい気持ちにさせられたが、日ごろ塾や習いごとに追われる彼らが、のんびり家で過ごす時間は貴重ではなかったか。何でもかんでも学校任せで多忙な先生たちも、ほっとする時間のゆとりが持てたのではないか◆とはいえ結局のところ、休校のおかげで感染がどれほど防げたのか判然としない。子どもたちから、友だちとともに学び、学年末の思い出をつくる大切な時間をただ奪っただけなら、複雑な思いが残る。(桑)

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