明治維新150年にちなみ、新聞を通じて地域の歴史を学ぶ「さが維新塾」。本紙記者による今回の出前授業は東原庠舎中央校(多久市南多久町)の9年(中学3年)1~3組です。(授業実施2月21日)

 

 

「志」が未来を切り開く力に

南里昌芳先生 皆さんはもうすぐこの東原庠舎中央校を卒業します。将来は故郷を離れて生活をすることがあるかもしれません。そんな時、皆さんには自分が生きてきた郷土・多久の歴史や有名な出身者について誇りをもって語れるようになっていてほしいと思います。きょうは、多久で生まれ東原庠舎で学び、明治時代に電気工学の分野で活躍した志田林三郎について、佐賀新聞社の記者の方たちの話を聞きます。
多久島文樹デスク 多久市内には三つの義務教育学校があり、それぞれ東原庠舎という名前がついています(東原庠舎中央校、東部校、西渓校)。東原庠舎とはもともと、江戸時代に多久に設けられた学校です。藩校は本来、領内の武士の子弟のための学校ですが、東原庠舎は、学びたいという意欲があれば、武士の身分でなくてもだれでも入ることができました。
 志田林三郎は明治時代に、現在の情報化社会を予見した人です。佐賀の七賢人は皆さんもよく知っていると思いますが、1855年生まれですので彼らより少し後の世代になります。まず東原庠舎で学びました。彼は武士の身分ではなく家も貧しかったのですが、小さいころから計算が得意など優秀だったので、生活の援助をしてくれる人が現れ、東原庠舎に入ることができました。その後、現在の東京大学工学部にあたる工学寮という学校に16歳で入学しました。
 自分の能力や才能を発揮するには、まず自分自身の努力が必要ですが、頑張っているとだれかが助けてくれます。助けようという人がきっと現れます。そういう時はその援助に頼っていいと思います。自分の将来を切り開くことにつなげることが大事だと思います。
生徒1  志田林三郎はなぜ電気工学に関心を持ったの?
谷口大輔記者 幕末から明治にかけての佐賀の人に石丸安世という人物がいます。佐賀藩士で科学者でもありました。明治政府に入り文字や符号を電気で伝える電信を東京―長崎間に設置し、「日本電信の祖」と言われています。志田林三郎はこの人が開いていた私塾の門下生で、この人に強い影響を受けたのではないかと推測されています。
 志田林三郎は「地電気自記器」を考案しました。これは電信の送受信に支障をきたすとみられていた地電流(地球の中を自然に流れる電流)の変動を観測、記録するものです。地震が発生する直前には微妙な電流が流れるため、地震予測にも役立つということまで見据えて研究したとされています。
生徒2 志田林三郎が電気工学を通じて目指していた世界とは?
谷口記者 明治21(1888)年の日本電気学会設立総会で、彼は電気がもたらす未来をテーマに講演しています。たとえば「外国で演奏されている音楽を東京にいて聴くことができる」「ナイアガラの滝の水で発電し、ニューヨークを不夜城にする」といったことなどですが、私はこれらを予測や予言ではなく、「こんな豊かな世の中を自分がつくってゆくんだ」という彼の「決意表明」だったのではないかと思っています。
 私は、皆さんに、自分の最も優れている点はなにかということに気付いてほしいと思います。それが自分に自信を持つことにつながります。志田林三郎も周りの人から才能を認められ、援助を受けて東原庠舎に入り、石丸安世をはじめいろんな人との出会いがあって歴史に名を残しました。大事なのは、自分の努力に加えてそういったチャンスを逃さないようにすることだと思います。
 志田林三郎は36歳で亡くなり短命でしたが、恐らく、やりたかったことをやれた生涯ではなかったかと私は感じます。これからは皆さんが志田林三郎の「志」を受け継いでいく番です。
多久島デスク まだ蒸気機関車しか走っていない時代に、志田林三郎は電車の出現を予測しました。今では電気で走る車がありますし、やがては空飛ぶ車も出てくるでしょう。可能性は無限であり、皆さんが「こんなことができるようになれば」と願うことが、実現の原動力になるのではないでしょうか。

 

【授業を聞いて  みんなの感想】

大井手 龍空さん 志田林三郎は自分が通っている東原庠舎の大先輩にあたるということを、とても誇りに感じた。地震の発生予測に役立っている機械を考案したことに驚いた。将来、進学や就職などで多久を離れることがあるかもしれないが、その時は故郷のことを誇りにし、周囲に多久の良さを広めていきたい。


藤川  薫さん 志田林三郎のことは何も知らなかったので、東原庠舎の出身だということにまず驚いた。科学者として何を目指していたのか、記者さんの考えを聞いてなるほどと思った。これまで、郷土の歴史や出身者について人から聞かれてもうまく答えられなかったが、これからは志田林三郎のことを話そうと思う。

 

【きょうの教材】

志を持ち、新時代に臨む 未来を予見した電気工学者  志田林三郎(1855~1892)

2019年8月3日付別刷り、佐賀新聞創刊135周年特集

 

 明治21(1888)年6月。東京で開かれた電気学会の設立総会で、約130年後の令和の時代まで語り継がれる演説が行われた。この年に日本初の工学博士となった志田林三郎。淡々とした口調で始まった演説は、「将来可能となるであろう十余のエレクトロニクス技術予測」でクライマックスを迎えた。
 「一条の電線に依り一分時間数百秒語の速度を以って同時に数通の音信を送受し得るの時も至るべし」。こう説いて高速多重通信技術の実現を予見しただけでなく、長距離無線通信、海外放送受信、長距離電力輸送、録音など多くの技術の実用化を予測した。これらの多くは現代に暮らす私たちの生活に欠かせないものになっている。将来を見通す林三郎の先見性は、どのように培われたのだろうか。
 林三郎が生まれたのは佐賀藩多久領。幼いころから頭がよく、武士身分ではなかったが多久領の学校「東原庠舎」への入学が許された。その後、上京して工学寮(後の工部大学校、現在の東京大学工学部)に入学。首席で卒業してイギリスに留学し、帰国後は帝国大学の教授を務めたほか、政府で電気産業振興に尽力した。研究者は「西洋の科学技術を積極的に導入した佐賀藩、そして学問の地である多久領に生まれたことが、林三郎の先見性を育てたのではないか」と推測。さらに、未来予測演説の背景に、豊富な研究や知識に裏打ちされた正確な現状認識があったとも指摘する。林三郎が予測した技術の多くに当時、実現に向けた「芽」が生まれつつあった。
 志や信念をもって時代の変化に臨み、今後大きく育つであろう芽を見つけ出せるか。林三郎の36年間の短い人生は、新時代・令和に飛躍を期す若者たちに大きな示唆を与えてくれる。

 

 

【使ってみよう!ワークシート】

 「さが維新塾」では、新聞をもっと学校の学習や家庭での学びに役立ててもらおうと、記事を使ったワークシートを特設ウェブサイトで公開しています。問題を作成している多久島文樹NIE推進デスクがオススメのワークシートを紹介します。

佐賀県の予算について 県当初予算案4855億円(2020年2月13日付)

 現在18歳選挙権とともに主権者教育が主に高等学校で行われています。さらに2022年4月1日から18歳以上が成人となります。主権者教育も選挙に関する内容ばかりでなく、主権者としての行動や心構えを身につける学習が必要になります。この記事のように予算案をもとに国、地方自治体、身近な地域の現状や課題を解決するためにはどうすればいいかを考える、話し合う、意見を合わせていくような学びが学校・学年段階や教科等の別にかかわらず大切だと考えます。なお、ウエブ版には関連資料もあります。ぜひご覧ください。(多久島文樹NIE推進デスク)

ワークシートのダウンロードはこちらから↓
「さが維新塾」の特設ウェブサイト

https://www.saga-s.co.jp/feature/ishinjuku/index

 

【問い合わせ】
佐賀新聞社営業局アド・クリエート部
電話 0952(28)2195(平日9:30~17:30)
 

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