リハビリ生活の中でロータリークラブ例会を楽しみにしていた宮島傳兵衞氏=2018年3月

 去華就実(きょかしゅうじつ)―外面的な華やかさに走らず、実質を重んじる―。社是を身をもって実践した企業人だった。31日、98歳で死去した宮島醤油元社長の宮島傳兵衞(でんべえ)氏。その経営者精神は一食品企業にとどまらず、戦後の激動期を生き抜く地域経済人の範となってきた。

 宮島氏が社長に就任したのは戦時中の1942(昭和17)年、東京帝国大(現東京大)に在籍していた20歳の時だった。父親で先代傳兵衞氏の急逝を受けたもので、以来99年まで57年間、経営の最前線に立った。

 同社の前身は海運業だったが、明治10(1877)年の石炭輸送船遭難をきっかけに事業存続の危機に立たされた。その時「永続的な事業」として選んだのがしょうゆ醸造だった。

 宮島氏は創業の原点を重んじつつ未来を見据えた「技術立社」を提唱。調味料・レトルト食品が全体の9割以上を占める総合食品メーカーの地位を確立した。

 質素で堅実な社風と同様、篤実な人柄は人望が厚かった。その根底にあったのは「日本資本主義の父」とされる渋沢栄一が唱えた「論語とそろばん」だ。ガバナーを務めたロータリークラブをはじめ、多くの企業人たちに「利潤の追求とともに職業倫理を高め、唐津地域経済の発展に力を尽くそう」と呼びかけてきた。

 89歳の時、心臓の大動脈弁置換手術を受け、94歳の時には工場を巡回中、転倒。車いすでリハビリ生活を送りながら、毎週のロータリークラブ例会で後輩経営者らとの親睦を楽しみ、昨年の唐津くんち後も支援してきた13番曳山(やま)「鯱(しゃち)」の塗り替え見学に出かけるなど、最後まで唐津を愛した人生だった。(吉木正彦)

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