その日は「ピーカンの日本晴れ」になった。昭和39(1964)年10月10日。記録映画「東京オリンピック」の総監督を任された市川崑さんは、前日の雨で開会式がどうなるか気が気でなかったという。「ピーカン」は快晴を意味する映画の業界用語。「カメラのピントが完璧に合う」など語源には諸説あるらしい◆4年に1度の夢舞台である。誰もがよりよい開催条件を願う。このときも日本側は当初、気候のいい5月に開催するはずだった。ところが、冬の長いヨーロッパ、特に北欧から「練習期間が短すぎる」とクレームがついた◆彼らは7、8月の開催を望んでいた。ヨーロッパではこの時期、東京の5月か10月にあたる温暖な気候だが、湿気の多い日本の夏は事情が違う。今度は日本側がこの提案を断り、秋雨明けを早めに見込んで10月に落ち着いたという(倉嶋厚『お天気歳時記』)◆4カ月後に迫った東京五輪について、国際オリンピック委員会が延期の検討に入るという。もともと欧米の大スポンサーに配慮して過酷な真夏に組まれた大会である。新型コロナの感染拡大を懸念する選手たちの声に押されての方針転換が「選手ファースト」への回帰になればいい◆日本にとって五輪とは何か、もう一度考え直す機会でもある。見通しのいい、それこそ「ピーカン」な結論を待ちたい。(桑)

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