旧古賀家

 佐賀市柳町は、旧長崎街道に沿ってある町で、嘉永7(1854)年のかまど帳によれば、商業に従事した商人の町として繁栄しました。慶長年間の佐賀城下図によれば、柳町東方に東西47間、南北43間の広大な地域に南蛮寺が記されています。

 藩主鍋島勝茂の貿易保護政策を背景とする中で、佐賀の布教は1609~12年まで活発だったようです。幕府が慶長17年、禁教令を出してからは、佐賀領内にも禁教の方針が徹底し始め、慶長18年9月から10月に宣教師たちは佐賀を去り、その後、南蛮寺は姿を消しました。

 この町に残る旧古賀家は頭取を務めた古賀善平の住まいで、古賀銀行の開業に先立ち明治17(1884)年に建てられたといわれています。玄関は武家屋敷に似た式台付玄関で、西側に土蔵造りの厨房を設けています。座敷の床構えは素晴らしく、書院の文様は花菱亀甲紋です。

 主賓を接待した座敷の壁は白色で、次の部屋の壁はねずみ色です。この違いは一説には、ねずみ色は一般の客の接待の場所といわれていたようです。隣の小さな部屋は、着替えの部屋ともいわれています。

 いずれにせよこの古賀家は、明治期の上流階級の建物として重要な歴史遺産といえます。

 大隈重信侯が、佐賀に帰郷した折はしばし古賀家に滞在したと伝わっており、館内にはその時撮影された写真が展示されています。(北原學)=おわり

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