相模原市の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年7月、入所者の男女19人を殺害し、26人に重軽傷を負わせたとして殺人罪などに問われた植松聖被告の裁判員裁判判決で、横浜地裁は死刑を言い渡した。弁護側は「大麻使用による精神障害で心神喪失の状態だった」と事件当時の刑事責任能力を否定し、無罪を主張していた。

 地裁判決は「被告の重度障害者への考えは勤務経験などからきており、了解可能。病的な思考障害とは言えない」と責任能力を認定。その上で「19人もの人命が奪われたという結果は他の事例と比較できないほど甚だしく重大」と述べた。判決前、植松被告は控訴しない意向を示していた。

 公判で植松被告は重度障害者について「不幸のもとになっている」「育てるのは間違い」などと差別意識をむき出しにして「国から金と時間を奪っている。安楽死させれば、日本の借金を減らせる」と主張。被害者参加制度で質問に立った遺族から「なぜ殺さなければならなかったのか」と問われ、「社会の役に立つと思った」と答えた。

 2カ月余りの審理で、反省や悔悟の言葉はなく、自らの主張を押し通し事件を正当化することにきゅうきゅうとしているようにも見えたが、法廷にはゆがんだ主張があふれた。しかし、そうした考えがどのように形作られたのかなど、未曽有の惨事の深層は十分解き明かされずに終わった。

 植松被告は都内の私立大を卒業後、自動販売機の商品を補充する仕事などをした。12年12月に知人の紹介で地元のやまゆり園に転職。当初、薄給を嘆きながらも「入所者はかわいい」と話していた。ところが事件の5カ月前ごろに、周囲に「重度障害者は人間じゃない」「殺そうと思っている」などと言いだした。

 事件の前年、インターネットで世界情勢を調べるうち「日本が借金だらけ」と知り「重度障害者を安楽死させ減らすことが社会の役に立つと思い至った」と被告は説明したが、後付けの理屈のようにしか聞こえない。

 園で働く中で、何があったのか。被告は、他の職員たちが流動食を無理やり口に流し込むのを目にするなどして、入所者は人間ではないと思うようになったと振り返ったことはあるが、被告自身が入所者にどのように接していたかといった仕事ぶりなどは、ほとんど明らかになっていない。

 また遺族の代理人弁護士から「あなたが殺されたら両親はどう思うか考えたことがあるか」と聞かれ、被告は言葉に詰まり、少し間を置いて「ありません」と答えた。小学校の同級生だった障害者について「奇声を上げて走り回り、周りの人が大変だなと思った」と話したこともある。ただ家庭環境や成育歴などについて、それ以上踏み込んだ質問は出なかった。

 限られた期間内で審理を尽くすため、やむを得ない面はある。ただ遺族や負傷者の家族、さらには障害者と共に暮らしている人たちが抱いた多くの「なぜ」に、裁判できちんと答えを出せなかったことは悔やまれる。

 裁判では被害者特定事項秘匿制度により、被害者の大半は名前の代わりに記号で呼ばれ、審理が進められた。遺族や家族が実名公表で差別や偏見にさらされるのを懸念したからだ。「共生社会」実現への道は険しいことをうかがわせている。(共同通信・堤秀司)

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