東日本大震災の被災経験を語るサガン鳥栖の梁勇基=鳥栖市のクラブハウス

J1リーグ戦でサガン鳥栖と対戦するベガルタ仙台時代のMF梁勇基(中央)=2012年7月、仙台市のユアテックスタジアム仙台

 サッカー・J1サガン鳥栖に今季から加入した梁勇基(リャン・ヨンギ)(38)。東日本大震災が発生した当時、仙台市に本拠地を置くJ1ベガルタ仙台に在籍し、自身も被災した。「今の日常は当たり前じゃない。震災を忘れない」。深い傷を抱えつつ前に進む東北に、遠い鳥栖の地から思いを寄せ続ける。

 プロ入りから今年1月にサガン鳥栖へ移籍するまで16年間、ベガルタ仙台一筋でプレー。「クラブの象徴」ともいわれた。縁あって鳥栖に加入したが、東北には特別な思いを抱く。「震災を経験し、長年東北でプレーした。どういう形であれ発信したり、伝えたりしたい。それが少しでも東北に届けばと思う」と話す。

 9年前のあの日、練習が終わり、仙台市内を車で走っていた。「車が横揺れし、タイヤがパンクしたのかと思った」。地震だとはすぐに分からなかったが、周囲を見渡すと現実とは思えない光景を目の当たりにする。近くにあった飲食店のガラスが大きく揺れ、建物から人が慌てた様子で次々に飛び出してきた。

 真っ先に頭に浮かんだのは、第1子を身ごもった妻のことだった。「危ないとは思ったが、すぐに車を走らせて家に戻った」。妻にけががなかったことに安堵(あんど)したが、室内は食器が散乱し、余震も続いていた。

 翌日、近くに住んでいたチームメートと顔を合わせた。実家が流された選手やスタッフもいた。「みんなサッカーどころじゃないと感じていた。自分たちの身を守るのに必死だった」

 震災の6日前に開幕したJ1リーグは約1カ月半中断し、その間、チームメートと避難所を訪ねた。「どこに行っても『来てくれてありがとう。頑張ってください』と逆に励ましの言葉をもらった。『この人たち、仙台、宮城、東北のために』という気持ちが、より強くなった」

 手倉森誠監督(当時)は「復興のシンボル、希望の星になろう」と選手に訴え続けた。「選手全員が震災を経験し、同じく被災し、苦労する人たちのために」(梁勇基)という思いが原動力となり、チームは開幕から12試合負けなし(6勝6分け)の快進撃を見せ、被災者を勇気づけた。チームは毎年、シーズン前に被災地に足を運び続ける。

 毎年3月11日には、水も食料も足りず不安な日々を過ごした記憶がよみがえるという。「震災を経験し、一番感じたことは、当たり前のことがどれだけありがたいかということ」と平穏に過ごせることを感謝する。それだけに「東日本大震災があったという事実を忘れてはいけないし、忘れたくない」との思いは強い。

 新天地で初めて迎えた3月11日。静かに被災地に思いを重ねる。

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