あの日が再び巡ってきた。関連死を含め死者、行方不明者が2万2千人を超す犠牲をもたらした東日本大震災から9年。新型コロナウイルスの感染拡大で、政府や自治体の追悼行事の多くが中止・縮小されたが、いま一度「3・11」を胸に刻み、この国のかたちを問い直す一日としたい。

 安倍晋三首相が「復興は着実に進んでいる」と強調したように、住まいの再建、農地や水産加工施設の再生など、産業や生業の回復は最終段階に入った。福島県の東部を南北に貫く常磐線は14日に全線で運行が再開され、復興支援道路も7割以上が開通、確かにハード面の復興は進んだ。

 しかし、沿岸部にはかさ上げされた空き地が広がり、震災前のにぎわいやコミュニティーを取り戻したとは言い難い。不条理に日常を奪われた被災者の心の復興も重い課題だ。人口減少と高齢社会の加速が先行する被災地。その影響を抑える先駆的なモデルを構築できるか、政治、行政、そして住民の構想力が試される。被災者へのきめ細かな目配りも欠かせない。

 依然として避難生活を送るのは約4万8千人。東京電力福島第1原発事故の影響を受けた福島県浜通りの住民が中心だ。唯一、全町民が避難する双葉町も、ようやく一部で避難指示が解除された。とはいえ、町面積のわずか5%にすぎず、民家などは帰還困難区域のままだ。

 9年という年月は、原発周辺自治体と、他の地域の歴然とした復興の進捗(しんちょく)の差も生んだ。双葉町はじめ7市町村にもまたがる広大な帰還困難区域は、原発事故の残酷さを物語る。にもかかわらず、政権の方針に沿い再稼働に突き進む電力会社などの不祥事が相次ぐ。制御不能に陥りかねない科学技術の怖さを体感したのではなかったのか。

 政府が「復興の姿を世界に発信する」と高らかにうたう、東京五輪・パラリンピックは間近に迫る。26日には、原発事故対応の拠点となった福島のサッカー施設Jヴィレッジから聖火リレーがスタート。本番は宮城、福島でサッカー、野球、ソフトボールが行われ、アスリートの躍動に被災地も声援を送るだろう。

 ただ、忘れてはいけないことがある。聖火が通過する道のすぐ横には、住民がいまだに戻れない土地が存在する現実を。きれいな街並みなど復興の光だけでなく、原発事故が招いた影の部分も直視する、ありのままを見てもらうことも、「復興五輪」の意義だ。

 「奇跡の一本松」で知られる岩手県陸前高田市に開業した高田松原津波復興祈念公園。あの日がうそのような、穏やかな海に、手を合わせる何組もの家族の姿があった。この公園を含め、東北では産学官民が協力して「3・11伝承ロード」を整備、大震災から現在までをパネルや写真、映像で伝える各地の施設や、津波の惨状を残す遺構を結ぶ。防災の担い手づくりや子どもの教育、記憶を新たにする場として生かしてほしい。

 首都直下地震や南海トラフ巨大地震などのリスクを抱えた列島で暮らす以上、いつでも誰でも当事者になり得る。いのちを守るために、被災した人たちの経験と教訓を「伝え」、記録や証言、保存した遺構から「学び」、次の世代へ「つなぐ」作業を積み重ねていく。風化という「時の壁」を克服しなければならない。(共同通信・橋詰邦弘)

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