ハンセン病患者とされた男性が隔離先の療養所などに置かれた特別法廷で死刑判決を受け、執行された「菊池事件」を巡り、検察が再審請求しないのは違法と元患者らが国に損害賠償を求めた訴訟の判決で、熊本地裁は特別法廷での審理を明確に「憲法違反」とする判断を示した。賠償請求については検察官の裁量などを理由に棄却した。

 特別法廷は裁判所法に定めがあり、最高裁が地裁や高裁から申請を受けて裁判所外で開くことを許可する。ハンセン病患者らは1970年代初めまで療養所などの隔離施設内に設置された特別法廷で裁かれ、最高裁は2016年4月に調査報告書をまとめ、違法で「患者の人格と尊厳を傷つけた」などと謝罪した。報告書に併記された意見書で学者や弁護士から成る有識者委員会は、憲法が定める裁判公開の原則に反する疑いを拭えないと指摘。最高裁は記者会見した事務総長が「法の下の平等に反していたと強く疑われる」と述べたが、報告書本体では違憲性に言及しなかった。熊本地裁判決は、その点で大きく踏み込んだ。

 審理の違憲性が死刑判決の事実認定に影響を及ぼしたとまでは言い切れないものの、その疑いは深まった。このまま放置しては、司法に対する信頼にも影を落とすだろう。最高裁は裁判史上の「汚点」と改めて向き合い、さらなる検証を尽くすことが求められよう。

 男性は1952年7月、熊本県菊池市で自分のことをハンセン病患者と県に報告した村役場元職員を殺害したとして殺人罪などに問われ、無実を主張したが、53年8月に特別法廷で死刑判決を言い渡された。57年8月に上告棄却で確定、62年9月に執行された。

 刑事訴訟法の規定で再審を請求できるのは被告本人や親族、検察官。うち親族は差別や偏見を恐れて踏み切れず、2012年になり、元患者らは最高検に再審請求を要請したが、拒否された。

 要請書に記された特別法廷の光景は異様というほかない。裁判官や書記官、検察官、弁護人は白衣姿で手袋をして調書などをめくり、割り箸や火箸で証拠品をつまんだ。傍聴人はおらず、当時の書記官は後に「弁護人さえ差別と偏見を持ち、裁判は事務的に進められた。人間として扱われなかった」と振り返った。

 ハンセン病は「らい病」と呼ばれた。感染力が強いとの誤解から、1929年に患者を強制隔離する「無らい県運動」が全国に拡大。31年には「らい予防法」が制定され、96年まで存続した。

 「患者絶滅」が叫ばれていた中での特別法廷について、今回の判決は「ハンセン病患者であることを理由に合理性を欠く差別をした」として憲法14条(法の下の平等)違反と指摘。「被告の人格権を侵害した」とし、憲法13条(個人の尊重)にも違反すると述べた。さらに裁判公開の原則を定めた憲法37条、82条違反の疑いがあるとした。

 その上で「憲法違反があることのみから、直ちに再審事由があるとは認められない」と結論付けている。だが、そうだろうか。差別や偏見が渦巻いていた隔離法廷で、まともな審理が行われたとは、とても思えない。

 最高裁は「裁判官の独立」を理由に個別事件の審理内容には立ち入らない立場だが、違憲と指摘された今、それでは国民の理解を得られない。(共同通信・堤秀司)

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