ハンセン病患者の特別法廷を違憲とした熊本地裁判決を受け、記者会見する原告の一人の志村康さん=26日午後、熊本市内のホテル

 原告の一人、国立療養所菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者自治会長志村康さん(87)=佐賀県出身=は、友の無念を晴らそうと特別法廷のむごさを訴えてきた。冤罪(えんざい)を主張しながら死刑を執行された男性は志村さんを「親友」と敬った。特別法廷の違憲性を認めた26日の判決に「正しい判断で、足掛かりができた。これをお墓に参って報告したい」と笑みがこぼれた。

 志村さんは1948年、恵楓園に入所した。自治会の渉外部長をしていたことが縁で62年、近くの菊池医療刑務支所に収監されていた男性と交流するようになった。

 殺人罪で有罪となり、死刑判決が確定していた男性。裁判のやり直しを求め、全国の支援者らと文通を重ねていた。志村さんは月1回の面会のたびに便箋や切手を差し入れ、自身も手紙のやりとりを続けた。

 男性の娘が通う高校が決まったことを報告した時は、2人で手を取り合って喜んだ。直後の62年9月、刑が執行される。「どうして」。知らせを聞いたが、ショックですぐに理解できなかった。

 遺品には、約3千通の手紙のやりとりを記録した芳名録があった。志村さんの名前の下に書き添えられていたのは「親友」という文字だった。確かな絆を目にし、目頭が熱くなった。

 「穏やかな性格で罪を犯すような人ではなかった。最初から差別裁判だった」。無実を信じる気持ちは今も揺るがない。

 判決後、志村さんは「画期的な判決だ」と評価しつつも、「これからは男性の名誉回復のために再審を勝ち取りたい」と、続く闘いへの決意を新たにした。【共同】

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