マルチン・ザレスキ《ワルシャワ、聖十字架教会の祭壇—主身廊からの眺め》(19世紀中頃、油彩・カンヴァス、国立ワルシャワ博物館)

ランメ《アリ・シェフェール邸(パリ、シャプタル通り16番)の小さなアトリエ》(1850年、油彩・カンヴァス、ドルトレヒト美術館) 

ショパン「ヴォイチェフ・グジマワ宛書簡」(1843年10月、インク・紙、NIFC=国立フリデリク・ショパン研究所附属フリデリク・ショパン博物館)

フリデリク・ショパン《エチュードヘ長調 作品10-8、自筆譜(製版用)(1833年以前、インク・紙、NIFC=国立フリデリク・ショパン研究所附属フリデリク・ショパン博物館)

アリ・シェフェール《フリデリク・ショパンの肖像》(1847年、油彩・カンヴァスドルトレヒト美術館)

 “ピアノの詩人”と呼ばれるポーランドの作曲家、フリデリク・ショパン(1810~49年)の生涯をたどる展覧会「ショパン~200年の肖像」が、久留米市美術館で開かれている。日本初公開となる自筆の楽譜をはじめ、同時代の絵画や版画などを通じて、ショパンの実像に迫る。

 

 ショパンはポーランド・ワルシャワ、オーストリア・ウィーンを経て、フランス・パリで活躍した。

 展覧会は、ショパンの自筆譜3点と手紙2点など約250点を展示。日本とポーランドの国交樹立100周年の記念事業として貴重な資料が来日した。

 このうち、日本初公開のショパンの自筆譜「エチュード ヘ長調 作品10-8」(1833年以前、インク・紙)は、製版のために書かれた原本。インクで端正に記されているが、一部に修正を加えた跡も残る。

 手紙は17歳年上の友人宛で、近況を伝えつつ、「僕の楽譜に値打ちなどないけれども、もしも失(な)くなればまた大仕事だ」と楽譜の運搬を頼んでいる。

 アリ・ヨハネス・ランメの「アリ・シェフェール邸(パリ、シャプタル通り16番)の小さなアトリエ」(油彩、1850年)に描かれたアトリエは、芸術家たちの出会いの場でショパンも演奏したという。

 20歳でポーランドを出たショパンは、母国で起きた革命のために2度と帰国しなかった。マルチン・ザレスキの「ワルシャワ、聖十字架教会の祭壇-主身廊からの眺め」(油彩、19世紀中頃)は、死後、ショパンの心臓が埋葬された教会を描いている。

 同館学芸員の佐々木奈美子さんは「ショパンの手によるものは楽譜と手紙だけだが、その影響は音楽にとどまらない」と話す。

 

 ▼「ショパン~200年の肖像」は、久留米市美術館=0942(39)1131=で、3月22日まで。一般千円、シニア700円、大学生500円、高校生以下無料。月曜休館(24日は開館)。

このエントリーをはてなブックマークに追加