銅剣・管玉出土のかめ棺墓

公開されている北墳丘墓

 平成元(1989)年、3月。北墳丘墓の発掘調査が行われました。発掘早々、把頭飾付有柄銅剣と鮮やかなライトブルーに輝くガラス製の管玉が発見され、この副葬品は吉野ケ里遺跡のイメージとなり、ポスターや数々の本の表紙に使われました。92年に2回目の調査が行われ、全部でかめ棺14基、銅剣8本、青銅製把頭飾2点、ガラス管玉79点、絹布片などが発見されました。ただし、この墳丘墓は紀元前2世紀ごろから紀元前1世紀ごろにかけてのお墓です。

 時々「墳丘墓のお墓の中に卑弥呼はいますか?」と質問されることがありますが、卑弥呼は2、3世紀の人物ですから吉野ケ里の墳丘墓とは年代が違います。吉野ケ里の復元された集落は、集落が最大規模となった3世紀ごろです。これは卑弥呼の年代に合います。

 つまり、墳丘墓が造られたころは吉野ケ里集落のピークではなく、吉野ケ里集落が巨大化する途中のお墓なのです。

 それでは3世紀ごろの墓地はどこにあるのでしょうか。吉野ケ里の周辺には、さまざまな副葬品を持った遺跡が数カ所存在していますので、そこにあるのではという説があります。これも、吉野ケ里の大きな謎の一つなのです。(吉野ケ里ガイド)

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