草場佩川(はいせん)(1787~1867年)は、現在の多久市多久町に生まれました。漢詩や書画に優れ、当時の日本を代表する儒学者の一人です。陪臣の身分でありながら、佐賀藩校弘道館の教職を務め、後には教授となるなど異例の出世を遂げた人です。