中継所手前でラストスパートをかける佐賀市の末次海斗。父の信さん(右)がその姿を見守っていた=29区、多久市

第36回大会でMVPに輝いた父の末次信さん(左)=1996(平成8)年

第7回大会でMVPを獲得した祖父の末次康裕さん(左)=1967(昭和42)年

 昭和、平成、令和と三つの時代を経て、60回の節目を迎えた郡市対抗県内一周駅伝。思いをつなぐ一本のたすきは、選手間だけでなく、家族の間でも受け継がれてきた。佐賀市チームの末次海斗さん(18)=鳥栖工高=は、県内一周を代表する名ランナーだった祖父と父を持つ。「家族の中にお手本にできる人がいる環境に感謝している」。高校のチームメートたちと競った16日のレースで区間3位と好走し、令和初の大会を盛り上げた。 

 祖父の康裕さん(77)=佐賀陸上競技協会会長=は、1961(昭和36)年の第1回大会から出場し、67(昭和42)年に最優秀選手賞を獲得した。佐賀市の監督や運営側で今も大会に携わる「ミスター県内一周」だ。父の信(しん)さん(49)=戸上電機製作所陸上部部長=も長年佐賀市の主力を担い、96(平成8)年にMVPに輝いた。

 陸上一家に育った海斗さんだが、中学時代はソフトテニス部。3年の秋、たまたまメンバーとしてかり出された市の中学校対抗駅伝で区間賞を獲得したことをきっかけに陸上を始め、進学先に県内屈指の強豪・鳥栖工高を選んだ。

 祖父と父の存在が重圧になることはなかったが、「周りから“サラブレッド”と言われることには抵抗があった」と海斗さん。それでも「それに見合うだけの努力をしようと思った」。レベルの高いメンバー争いを勝ち抜き、最終学年で迎えた昨年12月の全国高校駅伝で初めて、祖父や父も成し得なかった憧れの都大路を駆け抜けた。

 42歳まで現役だった康裕さんは、信さんが県内一周に出場していた頃は佐賀市の監督だった。「子どもが走る時は心配したが、今は応援するだけだからね」と目を細める。「自分は走ることにどっぷりつかって、県内一周に助けられた。孫がつないでくれることはうれしい」

 「今では2人のことを引き合いに出されることは誇らしくもある」。そう話す海斗さんは卒業後、箱根駅伝常連の帝京大に進む。当面の目標は祖父の5000メートルの記録を超えること。「まだまだ壁は高いですね」。一回り大きなランナーに成長し、再び県内一周を駆ける。

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