最近の子ども、若者はとても優秀です。現代を生きるために求められるスキルについて、明らかに大人世代よりもうまく適応しています。ゆとり世代と呼ばれる若者たちも、具体的にはグループで意見交換しながらアイデアをつくり出したり、それらを発表して伝えたり、デジタルツールを使ったコミュニケーションや情報収集、資料のまとめなどは比較できないくらい上手ですし、郷土の歴史や文化についての学びもしっかりしています。人権やジェンダー平等の感覚、多様性の受容などは明らかに改善し、スポーツの分野でも世界的活躍や新記録の樹立は目覚ましいものがあります。なのに、なぜ彼らはいつまでも「最近の若者はダメだ、なっていない」と言われ続けなくてはならないのでしょう。

 今そのように言っている大人世代である私たちも、若い頃には「最近の若者はダメだ」と言われていた記憶があるはずです。これは、4000年前と言われるピラミッドの象形文字の解読でも出てくる表現だそうで、世界中でずっと言い続け、言われ続けてきたものだということを考えると、時代の変化に伴って評価基準が変化したにもかかわらず、前世代側が自分たちの基準で次世代を評価するから出てくるものだということが分かります。単に自分の常識、価値観に見合うか否かを言っているにすぎません。

 丸暗記や計算能力の必要性は薄れ、言われたことをやる能力よりもアイデアを出して自ら動くことが求められ、努力や根性よりも効率よく結果を出すことが必要とされていることは分かっており、教育の内容をそのように変えたのは大人側であるのに、感覚がそれについていかず、適応して生きている若者を異質と捉えてしまっていると言えます。実際、日本の企業が国際競争力を失っている現実を見ると、足を引っ張っているのが若者世代とは思えません。

 世の中は移り変わり続けます。どの世代も、どの人もその時その時に適応して生きていくのであり、適応できていた時代に基準を置きがちですが、その価値観が他の世代でも通用するわけではありません。どちらが良いとか悪いとかではなく、必要とされることが変わるだけです。

 受け継ぐべきものを考える際にも、形や表現は既に変わってきたものであると捉え、意味を酌んで願いを残す方が伝えやすいのではないでしょうか。

(浄土真宗本願寺派僧侶・日本思春期学会理事 古川潤哉)

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