大会に向けてトレーニングを積む嬉野・太良の上滝寛記(中央)。さが桜マラソンをきっかけに競技に本格的に取り組み始め、夢だった県内一周駅伝出場を果たした=佐賀市のSAGAサンライズパーク

 昨年10月、さが桜マラソン事務局。3月22日に開かれる大会のインターネット受け付けが始まった。フルマラソン(42・195キロ)、ファンラン(9・7キロ)合わせて8500人の枠は、午後8時の受付開始からわずか1時間で全て埋まった。

 近年は空前のランニングブーム。2007年に初開催された東京マラソンをはじめ、全国各地で市民マラソンが盛況だ。桜マラソンも13年、「ハーフ」から「フル」へと衣替えした。当初は参加者が集まるか危惧されたが杞憂(きゆう)に終わり、毎年多くの市民ランナーでにぎわっている。

 「昔は走るという文化がなかった。今はみんなの理解が得られるようになり、手軽で身近に走れる」。桜マラソンの運営に携わり、県内一周駅伝には第1回大会から出場している佐賀陸上競技協会の末次康裕会長は、時代の変化を感じている。

 県内一周駅伝は、長距離ランナーの底辺拡大と強化を目的に1961(昭和36)年に始まった。第24回に高校生区間、第34回に女子区間を創設するなど門戸を広げ、性別や世代を超えたランナーの「晴れの場」を目指してきた。今後、大会を盛り上げていくには、増加する市民ランナーを巻き込むことも欠かせない。

 嬉野・太良チームの上滝寛記(30)=佐賀県庁=は、桜マラソンをきっかけに県内一周ランナーになった一人だ。

 高校で部活動経験はない。職場の先輩に誘われて参加した桜マラソンは5時間を切るのがやっとで、最後は歩くようにゴールした。先輩は三養基郡チームのランナーで、翌年応援に行った県内一周駅伝で衝撃が走った。

 沿道の声援を受け、最後の最後まで懸命に走ってたすきをつなぐ選手たち-。単に一人で走るのではなく、チームで戦う駅伝の魅力が伝わってきた。「鳥肌が立つくらいにしびれた。あの舞台で走ることが夢になった」

 練習法も何も分からない27歳の素人の挑戦。「最初は県内一周に出たいと言っても笑われてばかりでした」。佐賀市のランニングクラブに入り、一から走りの基礎を学んだ。早朝や昼休み、生まれたばかりの子どもを寝かしつけた後に走り込んだ。1年後、念願のメンバー入りを果たした。

 レースでは、支えてくれた家族が沿道に立ち、父は張り切って応援旗を手作りしてくれた。監督車からは「1年間苦労しながら走ってきただろう」とげきが飛んだ。「走りながら泣いちゃってました」。満足いくタイムではなかったが、チームの仲間は「ナイスラン」と声を掛けてくれた。

 「駅伝は人の縁。全く知らなかった世界に踏み込んで、新たな出合いがあって自分が成長できている。駅伝という団体戦でしか生まれない絆や奥深さを知ったら、もう辞められなくなりました」

 昭和、平成、令和と続く県内一周駅伝。今年も13チームの選手がたすきをつなぎ、それぞれのドラマを紡ぐ。

=おわり=

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