発掘調査が進む島津義弘陣跡主郭部の南面石垣

 昨年は島津義弘没後400年に当たり、鹿児島県内を中心に島津義弘をテーマとする多くの企画展やイベントが開催されました。

 島津義弘(1535~1619年)は島津貴久の次男として生まれ、兄の義久を助け、勢力拡大に大きく貢献しましたが、九州制覇目前で豊臣秀吉に阻まれ、島津氏は豊臣臣下となりました。

 秀吉の「唐入り」が決まると義弘は島津家を代表して、一族の久保(ひさやす)や豊久(とよひさ)と共に名護屋に参陣し、文禄・慶長の役では泗川(さちょん)の戦いなどで武功を挙げました。

 関ケ原の戦いでは西軍の敗戦が決まると、寡兵で「敵中突破」を敢行し、その脱出劇は「島津の退き口(のきぐち)」として武功が後世に広く語り継がれ、国内では「鬼島津」という人物像が定着しました。

 偶然にも島津義弘没後400年と時を同じくして、2016年度から19年度まで名護屋城博物館では特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」保存整備事業の一環として島津義弘陣跡の発掘調査を実施しています。同陣跡は名護屋城跡から北西約3キロの波戸岬付近に位置し、調査では石垣・虎口空間・破却状況など、陣跡の構造や在陣生活の一端を示す多くの手掛かりが確認できました。

 このような発掘調査の最新成果を基に島津義弘の新たな魅力や文禄・慶長の役前後の活動状況などを紹介する企画展を今年秋に開催する予定です。

 まずは4年間の調査成果を公開する3月1日の島津義弘陣跡発掘調査現地説明会に足を運んでいただき、名護屋在陣中の義弘の生活に思いをはせていただければと思います。(佐賀県立名護屋城博物館学芸員・村松洋介)

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