昭和29(1954)年、南海の入団テストに合格したのは7人。どういうわけか捕手ばかり4人もいる。「お前らはカベとして採用されたんだ」。くる日もくる日も投球練習のボールを受け続ける壁。亡くなった野村克也さんのプロ野球人生はこうして始まった◆3年限りでクビになるテスト生。一軍に上がった選手など一人もいない。そのうえ1年目のシーズンオフに球団から「来季は契約しない」と通告される。戦争で父を亡くし、病弱の母が苦労して育ててくれた境遇を訴え、泣き落とした◆「何をするにしても、すべて負けからスタートした人生だった」。自著で繰り返し語っている。負けや挫折、失敗をいかに成功や勝利に変えるか。その模索が独自の哲学を生んだ。どんな巧みな打者も7割の確率で打ち損じる。どんな豪腕の投手も失投から逃れられない。ならば失敗する確率を減らすしかない。そのためにデータを集め、練習を重ねるのだ、と◆監督として1565勝1563敗。最初は負けても時間をかけて勝ち星を増やしていけばいい。最後は五分五分で、いくらか勝って終わる。そんな人生の妙味を教えてくれた人でもある◆〈キャッチャーは「捕手」と書くが、私は、投手を助け、足りないところを補う「補手」だと思っている〉。「生涯一捕手」を任じたその思いを知る。(桑)

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